2007年10月08日(月曜日)
1747.人を好きになれる時
鬼の手を振るっているうちに、
持っているはずの内なる仏の心を見失いそうになることもある。
そんな時、何かの拍子に、人の顔の豊かな表情につい見入ったりすることがあると、
自分がやっばり人が大好きであることを思い出させてくれる。
鬼の手を振るいながらも
自分が鬼ではないことを思い出させるのは、
躊躇して、その人を思う強い心よりも、自分が弱くて、
手に持った刃の切っ先が甘くなっている事に気が付くことだ。
だからと言って、
それが仏の心であるとは決して言えない。
むしろ、鬼になりきれずに甘い刃を突き立てて苦しめるだけになっているならば、
それは心とは逆に残酷なことと言える。
人は、善い悪いの以前に、強い弱いの以前に、もちろん損得など以前に、
相手を思う優しさを、深いところで持った人が仏の心なのだろう。
だから、鬼の手をも持ち得る人なのだろう。今日は弟に教えられた。
誰でも無垢な子供の顔に戻ることが出来る。
自分もそうありたいと心から思う。