2007年09月10日(月曜日)
1728.どうなりたいのか
映画の中の犯罪人、
たとえば銀行強盗がまんまと大金を手に入れたりすると、
必ず言うセリフがある。
「これで遊んで暮らせるぜ」と。
「遊んで暮らす」とは、
仕事をせずに遊んでばかりいる生活という意味。
犯罪を犯さなくても、
仕事もせずに遊んで暮らす方法がある。
金を借りることだ。
今の世の中、お金を借りることはいとも簡単なことで、
健康保険証とか免許を持っていれば、
銀行のATMから自分のお金を引き出すのと同じように、
自分の金ではない他人のお金を“借りる”と言う形で、手に入る。
借りたからには返さなくてはならないが、
返すために、また借りれば、返せるので、返していることにはならない。
だから自滅的な破綻を迎えるまでの間は、自分の金のような他人の金であって、
働かずに手に入れた犯罪的な”あぶく銭”と同じようなものだ。
そんな金は、仕事のためとか勉強のためとかに使われるケースはまずあり得ない。
働かずに手に入った金は、ほとんど遊びに使われるか、
金持ちのような生活、あるいは見栄に使われる。
働かずに自分の自由になるお金が手に入ると、
人間は弱くなることが多い。
悲しいことに、一度弱くなると、とことん堕ちていくことまである。
汗して働いたお金は、
1円にも価値があるので、無駄には使いたくない。
働かずに手に入ったお金は、何百万円でも何千万円でも重みがないので、
どんなくだらないことにでも使うことができる。
人間は何か目的とか、生き甲斐となることがあると、
そのためにはどんな辛い仕事でも出来るし、
その目的を達するために、
道しるべとなる目標を自ら立てることも出来る。
そうすると、目標に向かって自分の持っている100%の能力を発揮することも出来て、
100%の能力を発揮して仕事をしていると、
その仕事をしていること自体で、それ以上の能力が自然に身に着いてくる。
そんなふうに仕事をしていると、
その人の持っている目的は、
あちらの方から近づいてくるかのように当然のごとく実現する。
だから仕事は楽しい。
遊んでいるよりも、仕事をしていた方がうんと楽しいとすら思える。
仕事とは稼ぐことであり、能動的な動きであり、自らを実現することにある。
対して遊ぶ事とは消費することであり、その多くが受身である。
(遊びという言葉にはもっと違う肯定的な意味もあるが、
ここでは、目的のない享楽的な遊びに限定している。)
意識的であれ、無意識的であれ、
自分の中に目的とか生き甲斐を持っていると、人は強力な実現力を手に入れる。
しかし、いったんその目的がなくなったり、
見失ってしまったりすると、
道しるべである目標も失しない、
何をやればいいのか解らなくなってしまい、
たとえ強い実現力を持っている人でも、
目的のない遊びに身を任せるところまで、逝ってしまうこともある。
そこから這い上がるには、もう一度、自らの目的をはっきりと見据えるしかない。
意識して、その目的と正面から対峙しなくてはならない。
世の中には元々目的を持っていない人が多い。
返す当てもない借金で、あるいは、なけなしの小銭で
自分を金持ちに見せる“物”を持ったり、着たり、飾ったり、
自分とは違う自分に化けたり、
その空しさから目をそらすように虚勢を張ったり、
あるいは、自分で稼いだ金でもない金で贅沢をしてみても、
享楽の中に身を落として見ても、
何も実現することは出来ないし、
だいいち実現すべき目的がないのだから、
何をやっても、遊んでも、本当はつまらないに決まっているのではないか。
そして、そんな自分が好きな人も、実はいないのではないか。
強い実現力を持った人が、
いったん目的を見失ったとき、
もう一度、本来の自分を取り戻すためには、
自分が生きている意味と真正面から対峙することによって、
必ず持っているはずの自らの目的、
自分が何をやりたいのか、
自分がどうなりたいのか、
自分の愛する人たちにどうなって欲しいのか、
何を実現したいのか、自らの意識の中にしっかりと取り戻すしかない。