2007年08月11日(土曜日)
1702.幻・炭鉱繁栄の街
稚内に来ている。
お葬式に出るためだが、
飛行機の時間の都合で、
式そのものには間に合わないことは解っていた。
それでも、お線香の一本でもと思って、来た。
プロペラ機専用の狭い丘珠空港に稚内行きの飛行機が着陸したのは、午前十時近く。
遅れ気味である。
珍しく満席のために機内整備が遅れるのか、
出発もかなり遅れた。
稚内空港に着いたのはお昼頃、
午前10時に始まっているはずのお葬式は終わっているころで、
出棺後の斎場に他人の私が行くわけには行かないと思って、
稚内市内でラーメンを食べながら、いつ頃行けばご家族に迷惑にならないかを考えた。
NAVIで見ると距離は70kmで、約二時間かかると出ている。
しかし国道はがら空きなので、せいぜい一時間もかからないだろう。
そう思って、初七日が終わるであろう三時過ぎに着くように、午後二時に市内を出発した。
目的地は稚内から宗谷岬を回り込んでしばらく行ってから
内陸に入って行くとNAVIにある。
空は雨、気温は24゜、半そででは肌寒く感じるくらいだ。
宗谷岬を前後の海岸沿いの道は、オホーツクの青黒い海を左手に見る。
かなり走ってから、ほとんど標識らしい標識のない交差点を右に取り、
海際から内陸に入っていく。
周りは牧場のようだ。
目的地は、番地まで分かっていたのだが、
NAVIは町名までしか出ないので、
近くまで行って、その辺の住人に聞くしかない。
でも思ったより小さな集落であったのでそんなに苦労はしないだろう。
NAVIがゴールであるという場所に車を止めて、郵便局に入るが、誰もいない。
雑貨店のような店があったが鍵がかかっている。
しばらくして人が歩いているのを見つけたので、急いで聞く。
さすがにすぐ分かった。
止まった場所からすぐ近くの家であった。
家の前にあまり車が止まっていなかったので、
「いくらなんでも遅すぎたか」と思いながら呼び鈴を押したら、
留守番のお年寄りがいて、まだセンターの方から帰ってきていないと言われた。
そういえば、3kmほど手前に“斎場”があったので、
そこにまだいるかと思って向かったが、そこには誰もいなかった。
「あれっ?どうしたんだろ。」
気を取り直して、もう一度、家に行って尋ねたら、
「センターだよ、センター、すぐのそこだよ。もう終わったよ。」と言われて、
玄関から外をのぞいたら、
家に入る小道の向こうに立派な公民館のような「・・・・センター」という建物があって、
喪服を着た人たちが外へ出てきている。
ちょうどすべてが終わった時のようだ。
どうしようかと考えたが、
せっかくここまで来たのだから、
せめて挨拶だけでもと思って、センターに行くことにした。
ぞくぞくと出てくる親類縁者の方たちが出てくる玄関の脇で待つことすぐに、
私の恩人である目的の人、Fさんを見つけて挨拶をした。
「えっ、なにどうしたの? わざわざ来たの?」
びっくりしたような顔をして、歓迎してくれた。
私はこの一瞬まで心配で仕方なかったのだ。
訃報に、身内での葬儀にしたいので列席を固辞します、とあった。
だから、のこのこ出てきた私はFさんに叱られるのではないかと、内心びくびくしていたのだ。
叱られたとしても、
私は「恩人である人のお母様が亡くなられたのに出ない訳にはいきません。」
と突っ張るつもりであったが、
心配したように叱られることもなく、歓迎してもらえたのにはホッとした。
式には出られなかったが、ご遺骨に手を合わせることが出来、
Fさんに会うことが出来、お悔やみを言うことも出来た。
なによりも、Fさんの故郷を見ることが出来たのが、すごくうれしかった。
Fさんの故郷は、半端でなく田舎であった。
過疎の町は人の住んでいない家が朽ちていて、
さびしいものであった。
様子を見て、ちょっとしんみりしたのだが、
Fさんいわく
「これでも俺が住んでいたころは、
このあたりも家だらけで人間も4000人も住んでいたんだ。
にぎやかだったんだぞ。炭鉱の町だったんだ。
今は過疎が進んで60人ぐらいしか住んでいないけどな。
周りの山はみんなボタ山だったんだ。」
その話を聞いて、
私は、4000人住んでいるころのその場所を想像して見た。
働き盛りの男たちが真っ黒な顔をして歩き、
奥さんたちのお喋りがあちこちに沸き、
子供たちが走り回っている。
その中にFさんがいる。
間違いなくガキ大将であっただろう。
しかも、勉強がスバ抜けて出来て、両親の自慢の種であったに違いない。
しかし、ガキ大将であることも間違いない。
そんな姿を想像していたら、
頭が少々薄くなった今の姿がおかしく思えて、
不謹慎にも顔が緩んでしまった。
ここは、Fさんの故郷。
過疎が進もうとも、いつまでも誇るべき故郷なのだ。
ほんの1,2分だけ話をして、その場を去った。
めったに揃わぬ家族が全員集まっているはずだ、邪魔をするものではない。
稚内へ戻る道を、
海岸線へではなく、海とは反対の山へ行く道を教えてくれた。
地元の人の言うことに間違いはない。
私はNAVIを無視して、教えてくれた道に行くことにした。
その道は過疎の町を結ぶ道とは思えぬほど立派であった、
途中で、白い小さな花が見渡す限りに咲く広い畑があった。
ジャガイモの花なのだろうか。
それは美しい光景であった。
稚内空港の脇を通るころ雨がいよいよ激しくなって、寒くなってきた。
晴れ上がっている名古屋とか本州の猛暑が、信じられないほどだ。
稚内の市内に近く。「気温22゜C、風速4m」である。
市街の入り口に、10年以上前、Fさんに連れられて稚内に来て、
KeePreの講習をさせてもらったスタンドがあった。
立派に改装している。
稚内もまだまだ元気であるようだ。
私も灼熱の名古屋に元気で帰ろう。