2007年08月08日(水曜日)
1698.FISCO.札幌.富士
富士戦での失敗は、
自分に対する情けなさで、しばらく元気がなくなった。
同じKeePreのロゴを大書して走っている?77の浜崎選手が、
見事に優勝し、4戦中3勝(1回だけ2位)を飾った。
同僚の優勝を祝いたい。
すでにシーズンチャンピオンを決めていた浜崎選手は
ドイツのポロGT戦に招待されている。
惨敗した私とは雲泥の差である。
決勝前は私もこんなに元気であった。
決勝の前の日、土曜日は午前中の予選が終わったら、
午後にはスーパー耐久の予選があった。
最初にAドライバーの松永選手が走り1分51秒台で、
クラス1、6台中6位。
5位とは約1秒の差である。
続いてBドライバーの三沢選手。
同じく1分51秒台で、順位は変わらず。
予選出走前にじっと目を閉じてイメージトレーニングを行う姿が印象的であった。
チーフメカニックに指示を出す松永選手。
今回はCドライバーで登録している田中選手の予選は、
順位を争うタイムアタックではないし、時間が離れていたのであえて見ず、
サーキットを後にした。
何もなく時間がたっぷり余ったので、
みんなでドライブに出かけた。
メカニックの小林君は、全国のサーキットに行ったが、
サーキットに行っただけで、その地の観光など一度もしたことがないそうで、
せっかく富士に来て、時間が余ったのだから
富士山に登ろうということになったのだ。
もちろん車での話だが。
途中、河口湖自動車博物館に寄った。
展示されている自動車はどれも価値のありそうなものばかりであったが、
クラシックな車にまったく興味のない私には猫に小判であった。
それよりも、博物館の土地の奥にあった怪しげな「飛行機博物館」は、
陳列の仕方はかなりめちゃくちゃであったが、
普段は見られぬ航空機用のエンジンがいくつも見られ、
すごく面白かった。
慣れない観光してホテルに帰り、晩飯でビールをたっぷり飲んで、
“よく寝て”、次の日の決勝は、
前話のとおり情けないことになった。
午後からは、スーパー耐久の決勝。
決勝スタートドライバーを三沢選手が受け持つ。
スタート直後、あわや3位に浮上かと思われたが、
1コーナーで大きくふくらみ、からくも6位をキープ。
他のポルシェに遜色のない1分51秒台のチームのベストラップを出すが、
やがて1周に約1秒ずつ遅れ、
6位のまま田中選手にバトンタッチ。
田中選手も立ち上りは遅かったが、やがて52秒台をコンスタントに走りはじめた。
5位とは、じりじりと離されていく。
安定した田中選手と松永選手のことだ、間違いなく完走するだろう。
(結果も完走であった。)
あとは、先行する車に何らかのトラブルがあれば上に行く。
(結果は、トップのBMW Z-4にトラブルがあり、クラス1、6台中5位であった。)
力走中の田中篤選手
いつもならば、
スーパー耐久のレースを終わりまで夢中で見ていくのだが、
自分のレースでの惨敗で、気が滅入っていたことと、
壊れた?25の後始末を終え、
次の日、朝一番の飛行機で札幌に飛ばなくてはならなかったので、
田中選手が力走中にもかかわらず、早々に帰宅のすることにした。
名古屋に帰ってその夜、
手伝ってくれたみんなと晩御飯。
ビールを浴びるほど飲んだ。
メディカルセンターのドクターが
「大きな衝撃を受けたときは、あとで何があるか分からないので、
少なくとも今日いっぱい、アルコールは控えるように。」と言われたが、
すっかり忘れて、いや、あえて忘れて飲んでしまった。
次の日、月曜日は札幌行き。
私はどうしても富士山が見たかったので、
飛行機の右側(進行方向に向かって)に席を取った。
お天気は曇りであったが、
そんな日でも、飛行機から見ると、右側に雲から頭を出していることが多いのだ。
飛び立ってからしばらく、
やっぱり富士山は見えた。
色々な思いをこめて、しばらく富士に見入った。
もうこれで、FISCOのことは考えるのをやめる。