2007年07月26日(木曜日)
1687.古い靴を履くとき
(これは7月25日の朝から26日の夜にかけて書いたものです。)
大阪で午前中いっぱい仕事をしてから、尼崎に物件を見に行った。
大阪営業所が大家さんの事情で移転をしなければならなくなっているのだ。
見た物件は×であった。
天井が低すぎて、快洗Wingが設置出来ない。
本当は、そのあと快洗隊・北神戸店に行って、
改装工事について相談をしたかったのだが、行くのはやめて、
今、帰りの新幹線に乗っている。
立っているのがとても辛くなっていたのだ。
原因は靴。
私は、矯正の特別な靴を作るシューフィッターという人が造った靴を履いている。
一足3万五千円もするのに、わずか3~4ヶ月しか履けない。
靴の底が変則的に減って、靴の皮も緩んで、
履いているととても足が痛くなるからだ。
今朝家を出てくる時、うっかり、古い靴を履いてきてしまった。
それで、てきめんに足が痛くなってしまったのだ。
左足の足首と、ひざ、
不用意に体重をかけると、思わず声が出てしまいそうに
痛みが脳天まで突き抜ける。
ドイツ製の特殊な靴に、
足の変形に合わせて削ったインソールを入れて使う。
このインソールが、一度作ったらその通りにずっと同じ形でいいかというと、
靴を作るたびに一回一回作らなくてはならないのだ。
3~4ヶ月の間に足の形が毎度変わってしまうわけではないのだろうが、
不思議と毎回作り直さないとうまく行かない。
だから、一足作るたびにかなりの時間を要する。
それにしても、この特殊な靴とシューフィッターとの出会いが無かったら、
私の人生は変わっていたかもしれない。
私はしょっちゅう飛行機や電車で出張をするが、
空港ではkm単位で歩くし、電車も乗換えなどがあるとかなり歩く事がある。
特に空港が新しく立て替えられたりすると、
決まってだだっ広いフロアと気が遠くなるほどの通路が出来、
大変長い距離を歩くことになる。
長い距離を歩く事が出来ない者にとって、
空間を広く取る傾向の空港とか駅、最近のビルは苦痛である。
今は、この靴のおかげで何とか歩く事が出来るが、
この靴を見つけたころに比べるとかなり弱ってきている今の足では、
この靴なしではとても歩く事は出来ない。
もし歩けないとすると、空港とか駅を一人で利用する事は出来なくなってしまう。
今のように一人で自由に全国を飛び回ることは事実上無理となり、
今のような活動が出来ないとするならば、
今のような結果はないだろう。
たかが一つの靴だが、
一人の人生と、一つの会社の運命を帰るだけの力を持っている事になる。
しかし、よく考えて見ると、
私の足自体は、何年か前、今の靴を見つけた時から
大して悪くはなっていないのかもしれない。
変わったとしたら、
あのころに比べて10kg近く体重が重くなって
足にかかる負担が大きくなっているだけなのかもしれない。
自分で勝手に太って、
それで勝手に自分を可哀想がっているだけなのかもしれない。
救世主のような今の靴を履くようになって、
昔に比べたらうんと楽になっているので、
それが無かったら、今の自分はとても可哀想な状態になっていると、
自分が勝手に太って、足に負担をかけるような体型になっておいて、
嘆いているのかもしれない。
今の靴が見つかった時は、
最高にラッキーだと思ったし、救われたと思った。
しかし、年月が経つと、だんだんそれが当たり前になってきて、
靴を見つけた時の幸福感を忘れてしまったのだ。
無かった時は不自由が当たり前であって、
見つけたのはとても幸福であった。
しかしそれが、有って当たり前、無ければ不幸な自分になってしまった。
見つけた時の幸福を忘れてしまった。
慣れとは恐ろしいものだ。
新大阪駅に迎えに来てくれた営業所のスタッフと車で話をしていて、
ドキッとする事を気付かされた。
「私が前職から快洗隊に入った時、
快洗隊という所はなんて恵まれているんだろうと、そう思ったんです。
必要な装備は何でもあるし、洗車をするための環境も日陰があって、何でも出来る。
仕事の道具も欲しいと言えば、たいてい買ってもらえる。
前にいたスタンドでは、洗車は店の隅っこの炎天下で、
道具や装備なんかも無いに等しい。
そんな中で頑張ってきて、それでも目標に届かないと、しっかり叱られました。
快洗隊からアイ・タックの営業になった今は、
お客様から「いい車に乗せてもらっとるねぇ~」と、よく言われます。
こんなに恵まれていて、怖くなる事があります。」
考えてみれば、
今の営業所の所長はみんな、
新車で買ったカローラフィルダーに乗っている。
オートマチックで、エアコン付、そして当たり前のようにNAVIが着き、
ETCが着いている。
8年前、初めて新車を買ったのは、
専務が乗るためのカローラバンであった。
営業は、どこかで買ってきた中古車を当たり前のように乗っていたし、
1BOXのバン車を買うようになっても、
ディーゼルの一番小さな安い“マツダ・ボンゴ”であったし、
快洗Jr.のデモをするため、Jr.を車に乗せるのは、
車体にガイドの傾斜を引っ掛けて、人力で押し上げていた。
営業所の所長達も同じであった。
それが今では、所長がカローラフィルダーで、
1BOXのバンも、ちょっと大型のトヨタのハイエースになり、
それも力のあるガソリン車、
車椅子用の電動のパワーリフトが着いていて、
自動で楽々と快洗Jr.を乗せられる。
スタッフの労働環境が良くなったのが、贅沢になったと言うわけではない。
それが当たり前になってしまっているのが怖いのだ。
考えてみれば
快洗隊では巨大なテントが大きな日陰を作り、
その下で洗車をするのが当たり前で、
日陰に感謝する気持ちを忘れ、
炎天下で洗車をしている人達の事を忘れてしまっている。
今ある快洗Bossよりも、
新しい快洗Wingの方が速いし使いやすいし、
作業スペースも広く使えて、色々と便利だ。
だから、まだまだ使えて、リースも終わっていない快洗Bossを処分してまで、
快洗Wingを入れようと考えていた自分は、何だったのだろう。
まだまだ問題なく使える社用車が、新型車が出ると
それを欲しがるスタッフに、それほど異常な物を感じない自分は何だったのだろう。
色々な意味で環境が良くなること、
労働条件が良くなることは、喜ばしいことである。
しかし、それを当たり前の事と感じるようになることが怖い。
今ある環境を感謝する気持ちを忘れて、
もっと欲しい物が無いことに不満ばかりを感じる気持ちが怖い。
大阪のスタッフの「恵まれ過ぎているのが怖い。」という言葉に、
私達が忘れかけていることを思い出させられて
私には大きなショックであった。
初心忘れるべからず。
今置かれている環境に、状況に、感謝の気持ちを忘れてはいけない。
今が当たり前ではない。今が最高なのだ。
進歩とか、発展とは、
今に対する不満から生まれるものではなく、
今に対する感謝の気持ちから、もっと、もっとと生まれ、実現されていくものだ。
感謝に気持ちに対して鈍くなってはいけない。
より鋭く“ありがたさ”を感じ、
感謝の気持ちに敏感になることで、
より強く進化し、前進していくものだろうと思う。
今は、これを書き始めた翌日の午後9時過ぎ、
今日は、東京に行き一日中仕事をした。その帰りの新幹線の中である。
(※カメラが故障で、三日連続で写真がない。)