2007年06月30日(土曜日)
1666.仙台ヘ帰ッた中さん
午後から仙台で用件を済ませ、今、名古屋に帰る飛行機に乗っている。
考えてみれば仙台は久しぶりで、何ヶ月かぶりだ。
仙台営業所はアイ・タック技研が全国に出て行った最初の場所で、
初めて来た時は、ちょうど七夕まつりの頃であった。
駅前からの長いアーケードが、七夕飾りできれいであったことを憶えている。
その時の相手が中さんで、あるガソリンスタンド会社の仙台営業所長をしていて、
私が43歳ぐらい、中さんが私より一つ上だったか、
お互いにまだ若く元気だった。
その中さんに仙台で良くしてもらったのが、
全国で活動をする自信につながったものだ。
そういう意味で中さんは我が社の恩人の一人である。
今は、アイ・タック技研仙台営業所の所長である。
縁あってこの会社に入ってもらってから、もう9年経った。
一時、東京に勤務してもらったこともあるが、
やっぱり仙台に住んでいたいと、
東京から仙台に帰ってしまった。
あれからずっと仙台を任せている。
中さんは、担当の東北地方の人たちから厚い信頼をもらって、
安定した実績を上げてくれている。
私が仙台にあまり来る機会が無いのは、
中さんがいてあまり心配がないからでもあるし、
私を呼ぶような用件が仙台に発生しないからでもある。
本当はもっと仙台に呼んで欲しいのだが・・とも思っている。
昔は月に一回ワンデースクールがあっただけで、
あとは地区を飛び回って営業をしていた。
しかし今は、仙台もかなりの数の色々な研修が実施されていて、
研修で一日中立ったまま若い人たちを指導するのは、
56歳の中さんの身にはきつくなっているはずだ。
ありがたいと思っている。
6月末が決算のアイ・タックは、7月は転勤、配転の時期で
私たち経営陣も、どのようにスタッフを配置をしたら会社の発展のためになり、
一人一人のためにもなるか真剣に考える。
今回の人事会議はのべ四日間もあって、
ああでもないこうでもないと、悩み、議論をした。
一番悩むのは、
実力と実績を持っている人がいるのに
担当の部署のマーケットが小さいので、
ビジネスのスケールが小さく
その部署に居続けると昇進ができない場合があることだ。
人事の内示は私がするのだが、
その中で、良かれと思って配転を決めても
本人が、生まれた土地を離れたくないと言われる場合がある。
そんな時は、その人の意思を尊重することになることが多いのだが、
その人のせっかくの実力を、大きなマーケットで発揮出来ないことになるので、
実にもったいないと思う事がある。
自分が成長し、自分に見合った仕事がその部署に無くなれば、
他の部署に移るしかない。
それによってより一層の成長と実力が着くというものだ。
出来れば一度本社にも来て欲しい。
そう思っても、自分の住んでいる場所から動こうとしないのは、
実にもったいない。
本人の希望が“今住んでいる所から動きたくない。”のだから仕方がない。
今年も、18名の異動があった。
住む所を変わらなくてはならない者も数人いる。
住む場所を変えることを伴う人事の異動には、
会社としても引越し代、転居先の住居の会社負担と、
少なからず経費が必要になってくるのだが、
それでもなお、異動を求めるのは、
それなりの経費をかけても惜しくないと考えた将来のある人に対してであり、
要らない人にお金を掛けてまで異動はさせない。
今年は、18名の異動について、
すべての人が快く承諾をしてくれたのは嬉しかった。
今回も、住む所が変わる人事異動のスタッフに、
一人一人会って話をしてきた。
住む所が変わる人事異動についてはその人の運命を変えるかもしれないので、
私自身が出向いて話をすることにしている。
その昔、東京に赴任した中さんが
「どうしても仙台がいい。仙台に住んでいたい。」と、
東京から仙台に帰ってから何年になるだろう。
大好きな中さんの仙台を愛する気持ちはよく分かるし、私も仙台、東北が大好きである。
中さんには仙台が一番似合っている。
今回の人事異動に伴う出張が終わった今、
たまたまそれが仙台であったので、
自分の地位を放りだして、
東京から自分の住処である仙台の営業所に帰った中さんの
そんな昔の出来事を思い出した。
※仙台営業所の近く、本郷君の運転で仙台空港へ向う。
今日で、株式会社快洗隊と関連2社がアイ・タック技研?式会社と合併をして、
快洗隊は、アイ・タック技研?快洗隊運営部の所属となります。
「株式会社快洗隊」の名前が今日消えるわけです。
寂しい気持ちもしますが、新しい時代を迎える快洗隊にお祝いのエールを送りたいと思います。