2007年06月01日(金曜日)
1648.忘れがちになる事
珍しく社会問題に関わることを書きたい。
社会保険庁が年金の記録を紛失していることについて。
私はずいぶん前から不思議であった。
厚生年金などの年金は、年金手帳一つを手がかりに、
個人の住所が変わったり、
年金の徴集者、つまり会社が変わったり
年金の種類、つまり保険組合年金になったり、個人の国民年金になったりと
複数の変遷を経ながらも
徴集金額を間違いなく同一人物へと記録して行って、
それを個人に正しく累積していることになっている事に。
あののんびりした、というよりダラケタ雰囲気の
しかも、軽微な手続きの不備を理由に年寄りを平気で追い返すような非情な役所が、
そんな複雑な事を、整然と正しく行なっているなんて、
いかにもあり得ないという不自然さを感じていた。
どう考えたって出来るわけがない。
だから、「年金などの制度に払い込むよりも、
銀行で積み金定期でもした方が間違いないのにな。」なんてずっと思っていた。
しかし、健康保険も厚生年金も、
税の一種であって、
個人にも会社にも拒否する権利がないので、不安ながらも支払ってきたのだ。
約100名の社員全体の社会保険と年金は、毎月合計500万円を越す。
年間約6,000万円、
それを15年以上続けているので、
社員が少ない時を勘定に入れても、
もう6億円以上は社会保険庁に払い込んでいるだろう。
私達のような小企業でも、そんな莫大な金額になるのだ。
そのかなりの部分の記録を紛失してしまったなんて、
民間会社ならばあり得ないことで、
最初から正しく記録していなかったのではないかと思った。
アナログの紙ベースで記録していた頃は、
いかにも手間がかかったであろうが、それでも何とか記録していただろう。
それがコンピューターでのデジタルデータとして記録し始めた時、
年金の仕組みに精通していた役人には、
コンピューターのプログラムについて完全に理解している者はいなくて、
逆に、システムを作ったコンピューター会社の技術者は、
年金の仕組みを完全に理解している者がいなかったのではないか。
だから、実は不完全なシステムが出来ていたのに、
誰もそれが分からず、
分からないまま、システムを機械的(盲目的)に運用していて、
誰も、間違ったことをしているのに気がつかなかったのではないか。
役所の人たちは、
自分の仕事の範疇、つまり責任範囲の中だけのことしか興味がなく、
「言われたように、キチンとやっていればいい」姿勢で、
誰も全体のことを考えなかったので、
根本的に間違ったことを、単純に繰り返していた。ということではなかったのだろうか。
よくあることである。
お役所仕事では特によくあることであるではないだろうか。
システムとして部分的な仕事を繰り返していると、
全体を見ることを忘れてしまうことは、よくあることで、
その仕事が何のためにされているのか、本来的な目的を誰もが見失った時、
とんでもない間違いが、誰も気が付かず、誰も責任を感じず、
綿々として長い時間続けられ、
どうしようもなく取り返しのつかない事態に陥る事があるのではないか。
組織が大きくなった時、
システムが大きくなって、すべての人がパートしか見えなくなった時、
陥る罠なのではないだろうか。
決して他人事ではない。
本来の目的が、システムの細かいパートにまで反映されているかどうか、
自らをよく確認しなくてはならない。
昨日と今日、東京であわただしく仕事をした。
中央で、中央の人たちとお話をすると、
日頃のあわただしさに忘れがちな本来の目的を思い出させられる事がある。
大切な二日間であった。