谷 好通コラム

2007年05月04日(金曜日)

1630.真似するのは得?

奈良に来た。
せっかくのゴールデンウィークではあるが、
たまにはレジャーの真似事をするわけでもなく、
やっぱり仕事がらみだが
それでも大仏さんの顔でも見るかと思ながら奈良にやってきた。
(東大寺は大混雑でとても入る気にはなれなかったが)

 

そこで発見。
「奈良ドリームランド」が閉鎖になっていたのだ。
誰かに聞いたところでは約1年前に閉鎖になっているそうだ。

 

 

「奈良ドリームランド」は1966年(昭和36年)に、
ロサンゼルス・ディズニーランドを真似て造られた
日本で二番目の本格的なテーマパーク。(一番目は「よみうりランド」)
私が生まれて9年目、つまり46年前のことである。

 

当時、戦後復興に伴って高度成長で日本全体が活気づいていた時期。
アメリカのディズニーランドと“同じ様”な巨大遊園地が奈良に出来たとあって、
日本国中が沸いた。
アメリカのディズニープロからは猛烈な抗議があったそうだが、
そんなことはちっとも話題にならない。
アメリカの一つの富の象徴であるディズニーランドと同じ様な遊園地を
日本が造った事に、誰もが喝采したものだ。

 

シンデレラ城を模した“何とか城”

 

 

私が小学校六年生の時の修学旅行で「奈良」に行った時、
その頃の修学旅行は遊園地に入るような遊びの旅行ではなく、
文字通り修学のための旅行であったので、
奈良ドリームランドに入場することなどはなかったが、
みんなが乗るバスが、わざわざドリームランドの近くまで行き、
LAディズニーランドの“マッターホルン・ボブスレー”を模した「ボブスレー」の山を指さして、
「あれが、アメリカのディズニーランドに匹敵する巨大遊園地「奈良ドリームランド」です。」と、
バスガイドさんが、誇らしげに紹介していたことを鮮明に覚えている。

 

開園してしばらくは絶好調で、
何年か後には「横浜ドリームランド」なる二号店(?)まで開いている。
まさに子供たちの夢、日本の夢を体現したドリームランドであったのである。

 

しかし、真似ものは所詮真似もの。

 

本物のディズニーランドを作ることを目的に
昭和35年に?オリエンタルランドが設立され、
千葉の浦安に埋め立て地を造り、23年もの長い時間をかけた昭和58年、
公式なディズニーランドの日本版とも言える「東京ディズニーランド」が開園した。
http://www.olc.co.jp/company/history/index.html

 

 

今でも日本国中のサービス業から接客の手本とされ、
圧倒的なリピート率を誇る本物のディズニーランド、東京ディズニーランドの前に、
「ドリームランド」は、
あっという間に来場客が激減し、
日本の夢を担ってきたはずの「ドリームランド」は経営が行き詰まり、
ダイエーグループに身売りしたのち、ダイエーの凋落も手伝って、
2002年にまず横浜ドリームランドが閉園し、
昨年2006年に奈良ドリームランドもついに閉鎖となった。

 

その直前の様子を実によく取材しているホームページがあった。
面白いのでぜひご覧になってみて下さい。
http://drkssk.fc2web.com/zekkyou/nara/nara.html

 

偶然にも、
昨日のテレビのニュースで、
中国の何とかという街に(どこか忘れた)、
ディズニーランドにそっくりなテーマパークが開園したと言っていた。
テレビの画面では、
定番のシンデレラ城そっくりのアトラクションや、
ミッキーマウス、ドナルトダック、
七人の小人、白雪姫 “の様な”キャラクターが、
パレードで観客に愛嬌を振りまいたりして、ディズニーランドぶりを発揮していた。
しかし、キャラクターの着ぐるみは、
どことなくいい加減で、
すぐに、かぶり物を上げてスタッフが顔を出したり、
雑な教育しか受けていないことを示していたし、
アトラクションも雑な感じがして、
何もかもが、所詮、物まねでしかないことを露呈していた。

 

41年前のドリームランドの再現のようだ。
それどころか、この中国のディズニーランド“の様な”テーマパークは、
ドリームランドよりはるかに露骨に真似をしていて、確信犯的ニセモノのようであった。

 

46年前に造られたのドリームランドが、
今どういう運命になっているかなど、
高度成長に浮かれている中国では、誰も考えないのであろうが、
ニセモノは、本物の前に、こっぱみじんになるのが所詮運命なのである。

 

 

私達は、中国でも「快洗隊」を造り、
そこには日本から何ヶ月も出かけて、教育に力を入れた。
現在の名古屋営業所の所長である石川誠君など、中国では随分苦労をしている。
しかし、そこで勉強をした誰かが、
北京で、「快“潔”隊」なる「ニセ快洗隊」を造って、フランチャイズを始めたそうだ。
そのパンフレットを見たが、
私たちの快洗隊そっくりの文句が並び、
ニセキーパー、ニセ爆白が、あらゆるものが、
私たちのカタログからそっくりそのまま盗った写真を使って紹介されている。
私はこれを見て、すっかり中国に対する意欲をなくしてしまった。

 

中国には何を教えても、与えても、
ニセモノを造るしか能がないのか。
上海での今年のモーターショーには、
CR-Vとかカローラとかのそっくりの車が、
中国のメーカーの車としてデビューしていると報道されていた。
それどころか、上海モーターショー自体のニセモノモーターショーが同じ上海で開催され、
本物の上海モーターショーと思って出品した業者が「だまされた。」と怒っていた。
目くそハナくそを怒るという絵である。(ちょっと言いすぎか)

 

 

しかし、いずれにしても
真似ものは、真似ものでしかなく
ニセモノは、ニセモノでしかない。

 

真似ものや、ニセモノは、本物には決して成り得ず、
形だけ似ていても、その本質はまったく別ものであって、
真似ものや、ニセモノは、本物の前にはひとたまりもないのだ。

 

ホンダが、自社製品の部品のコピーメーカーを、
自社の下請工場として採用したということを聞いた事がある。
これを、中国のニセモノメーカーが本物の力を持ってきた証拠とする人もいるが、
私は決してそういうことではないと思う。
いい加減なニセモノ部品が補修部品として市場に出回るくらいなら、
自分の懐に入れてしまい、自分の指導の下に本物を作らせた方が、
自分の製品の信用を失わずに済むと考えた、これは苦渋の妥協であったのだと思う。
結果としてそれが良かったか、余計に悪い結果を出すだったかは、私は解らないが、
多分、余計な墓穴を掘ったのではないかと勝手に思っている。

 

真似ものや、ニセモノは、本物には決して成り得ず、
形だけ似ていても、その本質はまったく別ものであって、
真似ものや、ニセモノは、本物の前にはひとたまりもない。
この原則は、
何についてもやはり、同じであると信じている。

 

真似するのは損か?得か?
真似ものやニセモノは必ず滅びる運命にあるとするならば、
それは、最終的には必ず「損である」と考える。

 

 

奈良ドリームランドの廃墟を、チラッとだけ見たが、
ニセモノのなれの果てであるそれは惨めなものであり、
「やはり本物を作っていかねば」と、強く心に刻んだのだった。
(廃墟は撮りたくなかったので、写真はありません。)

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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