2007年03月25日(日曜日)
1604.富山ブレイクスル-
(これは24日(土)に書いたものです。)
本日の走行距離697km、
日帰りで富山に行って来た。
一昨日、金沢から富山に行って、そのまま東京に行くつもりであったが、
幹部社員の身内に不幸があり、
富山の予定をキャンセルさせてもらって、急遽、大阪・堺に行ったので、
今日は、そのキャンセルした一つの要件だけで富山に行ったのだ。
本来はそういう不効率な事はしないし、
スタッフにもそう言い聞かせているのだが、
どうしても遅らせるわけには行かない要件であったし、
今日は土曜日であるし、
ついでに孫の顔でも見るかと思って、
富山まで走って行った。
用件の相手は、私が最も信頼している人の一人である松倉さん。
彼の事業意欲はいつも旺盛で、
今回の用件も非常に前向きであり、夢のあることであった。
(内容は、企業秘密なので書けないが、)
富山に到着したのは昼過ぎ、
夕方までかかってじっくりと見させてもらい、
車の中でたくさんの話をした。
彼の話を聞いて、
全国のスタンドさんの置かれている状態、
特に地方の小規模スタンドの厳しい将来を改めて考えさせられた。
何か現状を打破する手立てはないのか、
経営者の意識のブレイクスルーへの糸口はないか、
何か私達がきっかけになる事が出来ないか。
しばらく、私の思考のテーマにしなくてはならない。
富山市から魚津市へ向う時、
雨が降っているのに、
滅多に見ることが出来ない立山の山並みがうっすらと見えた。
雨が降っても、思わぬ光明が見える時もある。
一番いけないのは、誰かのせいにしたり、あきらめたりする事。
仕事を終えた後、
高岡に住んでいる娘と孫の顔をちょっとだけ見に行った。
二人目の孫である女の子「光(ひかり)」
ちょうど起きたばかりで、寝起きが悪くどうしても笑ってくれない。
すっかり言葉が多くなって、
私のことをはっきり「おーきいお父さん」と呼ぶ、京祐。
このままだと、二人目の孫も、私のことを「おーきいお父さん」と呼ぶ事になるだろう。
そろそろ観念しなければならないのかもしれないが、
まだ「おじいちゃん」と呼ばれるのには、かなり抵抗がある。
やっぱり、もうしばらくだけ、
「おーきいお父さん」のままで行こう。
私もどっかでブレイクスルーしなければならない。