2007年03月24日(土曜日)
1603.天空に昇った頂上
酔っ払ってから、新幹線で、東京から名古屋に帰るのはとてもツライ。
酩酊の頭が時速250kmの振動でゆすられる。
そんな事はとっくの昔から思い知っているのに、
東京で、東京の人と、つい飲んでしまうのは、
東京での仕事が、いつも内容が濃いせいであろう。
昨日から今日は、
十分にコントロールされたスケジュールを組んでいて、
楽な日程になっていたはずであった。
昨日、名古屋から約300km、熊沢君と車で金沢に行って、
そのまま富山に向かい、富山の大切な人とお会いし、
出来れば美味しいお酒でも飲んで、富山に泊まり、
翌朝、富山空港から飛行機に乗って東京に飛んで、東京での仕事をするつもりであった。
ところが、
昨日の内にどうしても大阪・堺に行かねばならない用件が出来、
富山の人にキャンセルを申し出て、
名古屋⇒金沢⇒大阪・堺⇒名古屋、翌朝⇒東京⇒名古屋の強行軍を組む事になった。
全工程、約1,700?である。
今は、その最後の東京⇒名古屋の新幹線の中。
そこまでの日程をこなすには、かなり消耗があるので、
最後の東京で飲んだりしなければいいのに、そこは我、谷好通である。
みんながいて、飲む時間があって、そこに飲み屋があれば、
飲まない訳にはいかない。
飲むしかないのだ。
何日か前に55歳の誕生日を迎え、
自重の日に向かって行かねばならない頃なのに、
私の日程は、20歳代の頃から一つも変わらない。
夜に数時間寝ればすっかり体力が回復するという事が前提の日程である。
55歳の身ではなかなかそうは行かないのに。
昨日の金沢はまるっきり京都であった。
お寺さんが、古い街並みの両側にいっぱいあって、
入ってみたくなるようなたたずまいの料亭が同じように、いっぱいある。
ここは、北陸の小京都ではなく、
まるっきり京都を切り出して来た街並みのようであったのだ。
金沢は昼から雨。
その雨の中、金沢を発って大阪・堺に向かう。
NAVIを設定したら、堺での目的の時間に間に合うように出ていたが、
順調であった北陸道を出て名神高速をしばらく走ったら、
「事故渋滞」があって、
11kmと表示された渋滞を抜けるのに1時間半かかってしまった。
結局、目的の時間には全く間に合わなかったが、
目的の人には会え、顔を見て安心した。
ほんの10分であったが、その人の顔を見て安心出来て良かった。
一番大切な仲間の一人である人の顔を見る事が出来て本当に良かった。
その大切な人のお母様が亡くなったのだ。
ご冥福を心よりお祈りするばかりである。
大阪・堺から名古屋に帰るのは「名阪国道」まわりに限る。
全工程約160?を、
池本常務の時速130?オーバーの決死の走行と、
熊ちゃんのちょっとギクシャクした安全運転と、
私の、もちろん安全運転で、
周囲を大型トラックで囲まれながらも、わずか2時間ちょっとで
愛知県・大府市の我が本社に到着したのは午後12時前であった。
当然、会社にはもう誰もいまいと思ったのだが、
名古屋営業所の石川誠、鳥巣、菅野、渡辺がいた。
夜12時がもうすぐの時間に何をしているのであろう。
こいつらは。
誰に「いつもこんなに遅いのか?」と聞いても、
「ちょっと整理する資料がありまして・・・・」などと、よく分からない返事をする。
話を聞いていて想像できた。
彼らはいつも外に出ているが、会社に帰ってくると、いっぱいやりたい事があって、
それを、それぞれ遅く帰って来た仲間たちとワイワイ言いながらやっていると、
楽しくてしょうがないのであろう。
それにしても、妻帯者までがそんな風では困ったものであるとも思うのだが、
自分たちだって、
新幹線乗る前に酒を飲むとツライことが分かっていながら、
つい、飲んで騒ぎたくなる気持ちと同じである。
仕事は面白いし、楽しい。
同じ目的を持った仲間たちと一緒にいて、騒いだり、明日の支度をする事は楽しい。
今日の朝、
名古屋を出てしばらくもしない内から、空は白く、もやっていた天気で、
今日も富士山を見ることは諦めていたのだが、
富士川の前、
もやっている空間の上に浮かんでいるような富士山のてっぺんを見た時には、
感動した。
こんな日には、私には絶対的な幸運がやってくる。
そんなジンクスが100%当たったと言っていい日であった。
昨日の日も良かった。
そして今日も、昨日に増して良かった事がいっぱいあった。
私は幸せである。
本当に幸せである。