2007年02月16日(金曜日)
1575.静岡から新横浜へ
(これは2月15日に書いたものです。)
昨夜、六本木近くの飯倉片町という所にあるドイツバーで美味しいお酒を飲んだ。
解散したのは夜9時過ぎ。
今日の仕事が横浜であったので、
一滴もお酒を飲めない?見君に乗せてもらって品川駅に行き、
そこから新幹線に乗って新横浜駅まで行く事になっていた。
夜9時過ぎというと、東京ではまだどの駅でもラッシュ状態で、
日付が変わるころまで変わらない。
その様子にはいつもびっくりするのだが、
新幹線はもう終電に近く、
名古屋方面に走る列車は2.3本になっている。
品川駅から新横浜まではわずか15分ほどなので、もちろん自由席を買う。
午後9時37分発の列車「ひかり○○号」ががもうすぐ来る。
それを逃したら午後10時05分の最終便が残っているのみ。
同行の畠中君と大急ぎでホームに行き、
9時37分発の列車に飛び乗った。
(駆け込み乗車をしたわけではない)
列車の中は大混雑で、
A.B.C.D.E席の三列席の真ん中Bの席がかろうじていくつか残っているだけ。
しかも、そういう席には“荷物”が必ず置いてある。
混雑している時に席に荷物を置くのはマナー違反である。
「その席座ります!」と、荷物をどけてもらって強引にBの席に座った。
後ろの方で畠中君も同様なB席に座った。
荷物を席においていた迷惑な客(オッサン)が、迷惑そうな顔をするので、
私は言った。
「新横浜までだけですからね。」と
・・・
ちょっとの間があって、
そのオッサンが怪訝そうな顔をして、
「この電車、横浜止まるか?」と、周りの客に聞くように言った。
「えっ、これ“ひかり”でしょ?」と、私は周りを見ると、
「これは、新横浜は止らんよ。」と中年のおばさんが言う。
「しまった!」、
慌てて後ろの方に乗っている畠中君に、
「おいっ、この列車、静岡に行っちゃうぞ!」
何の事か気が着いた畠中君も慌てて立ち上がって出口に走る。
しかし、無残にも
出口に着いた時には、すでに列車は動き始めていた。
万事休す。
私達はこの列車に乗ったまま静岡まで行く事になってしまったのだ。
静岡駅に到着してから上り線に乗り換えて新横浜駅に戻る列車はもうない。
・・・・・
しばらく無言になる二人。
デッキに立っていても仕方ないので、
指定席の方に歩いて行って、とりあえず座る事にした。
車掌が来たので、訳を話してそこに座っている事にする。
静岡駅で降りて、静岡駅近くのホテルに泊まって、翌朝、新横浜に戻るか。
そのまま名古屋まで乗っていって、家に帰って、翌朝、朝一番の“のぞみ”に乗って新横浜に戻るか。
どっちが得か、ではなく、どっちが損が少ないか計算をしたが、ほぼ同じ。
では、睡眠時間がどちらが取れるかを考えると、
静岡に止まった方が、約2時間余計に眠れる。
ならば、静岡に泊まろう。
そんなことを相談している間にも、畠中君が?見君に電話をして、
「かくかくしかじかで、静岡に泊まるホテルを探してくれませんか。」と頼んでいる。
結局、静岡にちょっと高めだが無事にホテルを取る事が出来て、
二人とも静岡駅で降りた。
「あの新幹線の自由席で席に荷物を置いていた迷惑なオッサン達、
俺たちのこと笑っていただろうな。」と、口に出して言うと、
改めて情けない気持ちになる。
ホテルは20階の部屋で、午後10時過ぎの静岡はもう暗い街であった。
翌朝、午前6時半に起きて、
改めて外を見たら、はるか向こうの方に「富士山」が見えた。
雲一つない。
ラッキーである。
朝の二番目の列車に乗ったら、
富士山が素晴らしくきれいに見えた。
これだけ見事な富士山を見る事が出来たのだから、
横浜での仕事が悪いはずがない。
お世話になった人に久しぶりにお会いして、
大病からお元気になった姿を見て、また、仕事のいい話をしていただいて、
最高であったことは間違いない。
その仕事を済ませて、またすぐに新横浜駅に戻る。
時間はもうすぐ12時。
「崎陽軒のシュウマイ弁当」を買って、今度は「のぞみ」に乗って名古屋に帰るのだ。
帰りの列車からの富士山も見事であったことは言うまでもない。
昨日、うっかり新横浜に止まらない列車に乗ってしまったのは、
不注意であり、無駄な経費を1万9千円ほども使ってしまったが、
結果は、ラッキーであったと思う。
会社に帰って、仕事をして、充実をして、
しかし、一昨日の鈴鹿サーキットでの走行で使った筋肉が、
今頃になって痛くなってきたのは歳のせいである。