2006年12月31日(日曜日)
それでもやっぱり刈谷店
今年、刈谷店を越した快洗隊がある。
9月に“相模原店”が、わずかではあったが洗車売り上げで刈谷店を越した。
オープン以来9年余、
あとから11軒の直営店、30数軒のFC店が出来たが、
一度も王座を引き渡さなかった刈谷店が、2位に甘んじたのは、
私たちにとってもショックであった。
刈谷店はあまりにも老朽化が進み、古びてしまったのか。
それともスタッフに慢心が生まれたか、
少ない人数のところに、たくさんの研修性の面倒を見させたのが負担であったのか。
八月に店長が不在になったまま、チーフに重荷を背負わせ続けたのがいけなかったのか、
そのいずれでもあり、そうではなかったのかもしれない。
このショックは、私たちにたくさんのことを考えさせた。
いずれにしても、設備が老朽化したのは確かだ。
年が明けたらなるべく早い時期に改装をする事になっている。
それでも、10月には再びトップに立った刈谷店は、
12月もトップの座を渡さない様子だ。
しかし、今の予想では洗車売り上げは660万円ほど。
ピークであった昨年より百万円以上の落ちだ。
遠めで見ても古くなっているのが分かる。
これはある程度仕方がない。
快洗隊直営店の少なかった頃は、
年末となると応援部隊が刈谷店に集結し、
年末になると、人海戦術で一日70万円クラスを連発した。
それが、店舗が増えてくるに従って応援が分散して人海戦術が取れなくなって来た。
最初は快洗Jr.だけで、人数と根性で650~700万円台を出し、
快洗Bossの登場で作業効率がぐんと上がって応援が少し少減ったのをカバーし、
次の年は高価格のアクアKeePreが出たことによって、年末前のたくわえを作り、
ギネスを出した。
そして二年前から「予約制」を実施し、これが見事に当たり、
応援部隊がかなり減っても、二年連続で800万台を叩きだした。
(予約制を取ると入り口の待ち車がガクンと減る。)
応援部隊が減るたびに、
新しい施策が功を奏して伸び続けた刈谷店。
それでも看板店を伸ばそうと、
年末の応援は、他店に比べて別格に多かったのも事実であった。
それが、今年は応援する店舗がまた4軒増え、
刈谷店だけを特別扱いするわけにも行かず、とうとう今年は他店と同等としたのだ。
だから、今年の年末体勢は普段のスタッフも合わせてちょうど10名。
人数の減少は作業台数の減少に即つながる。
例年、年末は連日75万円とか77万円の売り上げを連発していたのが、
今年は最高で55万円がやっとだ。
(それでも10名で1日55万円は大したものだと思う。)
予約表も一時間9台で、飛び込みのお客様をあまり受け入れられない。
(この他にも高価格の預かりが何台かはある。)
全員が、1台1台の車について淡々と作業をこなしていく。
人一倍頑張ったのだが、
大きく落ちた実績に責任を感じているのか、
都築チーフは、カメラを向けても頭を下げる
来年からはエース山迫課長がてこ入れに入る。
来年三月には、長年アルバイトで頑張ってきた鈴木君が、
夜間高校を卒業して快洗隊に入社してくる。強い味方である。
(彼は“顔はふけているが”、本当に高校生なのだ。)
そろそろベテランの高島君。
四代目?五代目?刈谷店マネージャーの石川君と新人の野本君
写真は続く。