2019年03月20日(水曜日)
3.20. 人生で最も長い、永遠の夜の拷問
手術台に乗せられて、誰も区別できないまま
「麻酔を入れますよ。」「麻酔薬が血管に触ると沁みますかね。」
という声が聞こえたことは憶えているが、
その後は何も憶えていず、
というよりもそれから約二時間分の時間がすっぽりと欠如している。
突然、私の周りにいっぱい人がいて、
中には連れ合いもいて、よく分らないが、
手術前にDr.が言っていたHCUという集中治療室らしい、
体は全く動かない。
体は痺れているというか、痛いのだが、動かしていけない種類の痛さだ。
頭がまだボーっとしている。
喋るのだが、まったくロレツが回らない。
そのうちに誰かが「ゆっくり休ませましょう」なんて言って、
皆が去ろうとしているので、
「待ってよ、おいて行かないで。ここでずっと一人なんて無理だよ。
絶対無理だから、置いて行かないで。」と叫ぶが、まともに言葉にならない。
言葉がきつい看護師が、「体の向きを変えてはダメです、」
それは手術前に聞いていたので、
とにかく、ジッと上を向いたまま、頭だけをぐっると見回すが、
誰もいない。時計もない。
ものすごく不安になって、Dr.が通りかかったので、
私は「こんな所に一晩、置いて行くなんて拷問だ。時間が判らないまま、
気が狂いそうだ。こんなこと聞いてなかった。くそ~~っ」と
食ってかかった。
そうしたら、Dr.は、私の部屋に行って、時計と携帯電話を持ってきてくれた。
それはそれで嬉しかったが、私自身の体の不自由と痛さは変わらない。
その携帯で連れ合いに電話を掛けたら、
HCUで唸っているはずの私からの電話に、
連れ合いはお化けからの電話みたいにびっくり仰天していた。
そのあまりもの驚き様に、私は他の誰にも電話できなかった。
と、私は思っているが、ひょっとしたら、もっと誰かにも掛けたかもしれない。
とにかく、時間が経つのが遅い。
HCUに入ったのが午後5時半くらいで、
次の日の朝8時くらいまで、14時間半以上、
私は1時間に10回以上時計を見て、だから多分200回以上時計を見て、
ちっとも時間が経たないのを気が狂いそうになりながら耐えた.
あの時間の長さは、私の人生で一番長い時間の夜だった。
その永遠とも思えるような長い夜の間に「もう二度と手術はせんぞ」と
たぶん500回はつぶやいた。
私の人生で最も長い永遠とも思えるような長い夜だった。
二つの事をおぼえた。
一つは、「麻酔」は「時間の欠如」であり、
もう一つは術後のHCU、ICUなどの集中治療室は、孤独の耐えがたい「拷問」
死ぬまでに二度とまた手術が無いことを祈るばかりだ。
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