2019年03月10日(日曜日)
3.10.幸せそうなお年寄りたちと会った。
今日は一日病院でおとなしくしているつもりだったのですが、
ふと、「久しぶりにオバアちゃんの顔を見てこようか。」と思い立ち、
入院以来初めて全日を病院にいる日になるはずだったこの日曜日、
やっぱり午後から4時間ほど外出することにしてしまいました。
ただし、この日初めて、朝、昼、晩の三食を病院食で食べます。
オバアちゃんとは私の母であり、今年もうすぐ90才になる。
つまり、私は、母が23才の時に生まれたということになります。
私は、母がまだピチピチの若い娘の頃に、母から生まれて、育ったのだ。
そう考えると、妙に嬉しく照れるのはなぜだろうか。
でも今日は久しぶりに会いに行って良かったと思う。
母はアルツファイマーを少々患っていて、徐々に記憶が出来なくなって来ているが、
認知症にありがちな凶暴性とか被害妄想とか鬱のような症状とか、
そんな暗い症状をまったく持っていず、
いつも穏やかに嬉しそうにニコニコして話をしてくれる。
友達がいっぱいで、食事が楽しみで、
病院への通院もやる気満々で、
デーサービスが「楽しい」とはにかんだように言うのはかわいい。
友だちが部屋にいつも遊びに来てくれるのが嬉しいのだけど、
「だれどね、みんなが帰ると部屋に私一人になって、そんな時は寂しいんだよ。」
と寂しそうに言うが、贅沢な「寂しい・・」だ。
1時間くらい私たちは部屋にいたが、
ずっとニコニコしながら話し続けてくれる。
同じ話が何度か繰り返して出てくるが、そんなことは愛嬌で、
私たちは、何度でも「あっそう、すごいね。良かったね。」と返事をする。
ちょっと気分転換に大食堂のようなホールに出ていって、
備え付けのコーヒーを飲み、
母は「私は紅茶が良いな・・」と言うので紅茶を入れ、
また、ずっと同じような話を明るくして、
帰りには、玄関まで見送ってくれた。
別れ際には手を振って、その様子がとても可愛い。
今の老人ホームが、たまたま良いのだろうか。
以前一度、
母が自分で探してきた個人経営の、
今とは違う老人ホームに入っていたことがあるが、
そこでは半監禁のような状態での生活で、
母は眠れない状態が続き、睡眠薬漬けになって、
いつ会ってもボーっとしていて、人相まで変わり、これはいけないと思って
一度自宅に引き取ってから
連れ合いが探してきた今の老人ホームに移った。
あれからまだ二年だが、
以前の老人ホームでは半病人のようだった母は、
今の老人ホームで、
ニコニコして、友達と一緒に歩き廻っている。
今のお年寄りは幸せだ。
ただし、正しい老人ホームを間違いなく選べばだが、
つくづくそんなことを思った。
病院でも同じようなことが言えるのかもしれない。
あるいは会社でもそうかもしれない。
関わることでその人の人生に多くの影響を与える役割の者は、
その責任を肝に銘じなければならない。