2006年06月04日(日曜日)
1406.TV見て考え込む
温帯地域にある日本は春夏秋冬がはっきりしている。
冬が寒くて、春は暖かく、夏は暑く、秋は涼しい。
こう聞くと、暖かい春と涼しい秋が一番いい季節であるように思えるが、
どうも春というのは暖かく穏やかな日が続くという意味ではなく、
ちょっと寒かったり暑かったりの日が交互にやってきて、
やがて暑い日が多くなって夏になる。
そんな季節のようだ。
しかしいずれにしても、日本は住みやすい所だ。
日本は平和であり、幸せな国であるとつくづく思う。
私自身も平和な豊かな日本で幸せを謳歌している一人だ。
やりがいのある仕事があって、
毎日充実していて、
なお新しい仕事に挑戦するチャンスが与えられている。
そしておいしいものを食べ、
酒を飲み、
心を通わせる友と家族がいて、
暖かい布団がある。
それでもそれが続くと、それが当たり前になって、
それがとても幸せなことであることを、忘れてしまうのが人の常なのだろうか。
今の自分がいくら幸せであろうと、
その上にまた欲を出して、
もっと豊かな幸せが欲しいと今の自分の環境と待遇に不満を持ち、
不満を持った瞬間から、満たされない自分が現れて、
自分勝手に不幸になっていく。
貧しい国では、どん底の不幸の中でうごめいている人が溢れているのに、
豊かな国では、豊かな生活の中で人は自分勝手に不幸になっていく。
人が生来的に苦しみを背負っているとするならば、
この部分なのかもしれない。
人は自分自身で幸福になることは出来ないのかもしれない。
人は、人から愛されることで自分自身の存在を見つけ、
安心して幸せになるものなのかもしれない。
あるいは、人を愛することによってそれを達成できるという方法がある。
しかし、それは、
「愛せよ、さらば愛されん」の法則によって、
愛される幸せと愛する幸せはいつも同時に達せられることになるので、
同じである事になる。
あるいは、「無」とか「空」と呼ばれる境地。
つまり「悟り」と呼ばれる境地の中で、人ははじめて救われるのかもしれない。
しかし俗欲と煩悩のカタマリである私は、
悟りの境地など到底理解できないし、その努力をしようともしていない。
ただガムシャラに働くのみである。
その先に何があるかよく分からないが、一生懸命働いていると、
頭の中が、ある意味で「空」になる。
それが一番の私の幸せなのか。
よく分からないが、それだけではないことは確かだ。
大きな仕事がいくつも控え、
一日中事務所にいて、終日びっしりとミーティングをやると、
頭の中がぐったりとなって、家では幸せな気分になれる。
これはこれでいい。
私に残された時間は、長くても今までの人生の半分くらい。
たぶんもっと短い時間を覚悟しておかねばならないだろう。
しかし、少なくとも、その事に対して焦りを感じるのだけはやめた。
じっくりとやっていこうと思う。
世界中にいる救われない不幸な子供達のことを淡々と綴ったTV番組を見て、
柄にもないことを考えてしまったのでした。
昨日のミーティングの残骸。いつもこんなにグチャグチャではないのですが。