2006年01月14日(土曜日)
1324.わッチケットが無い
今でも出張が少ないほうではないが、
かつては、もっともっと出張ばかりしていた。
一ヶ月のうち半分以上、ひょっとしたら3分の2以上の日を、
全国に飛び回っていた。
特に外国に出張に行く時は、日本の祝日に掛けていくと便利だ。
日本では相手がお休みで仕事にならない祝日でも、
外国に行ってしまえば関係ないので、普通に仕事が出来る。
また、移動に一日かかるような場合は日曜日・土曜日を移動日にする。
そうすると一日活動する日が稼げるわけだ。
あるいは、
相手が個人で商売をしている場合は、
たいてい土曜日でも仕事をしているので、
お会いする日程を土曜日、あるいは日曜日にしてもらう。
みんなは、土曜・日曜は相手が休みなので仕事にならないから、
自分も休むと言うが、
そんなことはない。
どんな時でも、いくらでも仕事をすることは出来る。
自分が休みたいから、遊びたいから休むだけである。
20年前にガソリンスタンドとして独立した当時から1年間ぐらいは、
土曜・日曜・祝日は稼ぎ時なので、
休んだことは全くないと言っていいほど仕事をしていたが、
それが当たり前のことだと思っていた。
自分がそういう仕事を選んだのだし、
ましてや自分は、スタッフにもそれをさせている経営者なのだから、
すべての土曜、日曜に仕事をすることに、全く違和感も不満もなかった。
それどころか最初の頃は一年中休まないこともあった。
休日に家族とどこかに遊びに行くことも全くなかったし、
夜、外食に連れて行くぐらいが関の山で、
のちに休日を取れるようになって、子供と一緒に遊びに行ったこともあったが、
その数はそれほど多くはない。
今、我が息子と娘にそのことを言うと、
二人とも、遊びに連れて行ってもらった記憶は全くないと言う。
それでも、何回かは連れて行っているので、
その時の写真を見ても、
連れて行ってもらったことが有ること自体が信じられないという。
何回か泊りがけで家族旅行をしたのだが、
それも小学校に上がってからなので、憶えていない訳がないのに、
憶えていないという。
私も昔は、たまには子供と遊んでやらなくてはと思ったこともあった。
しかし、たまに無理して遊びに連れて行ったことを彼らは憶えていないという。
そんなものなんだろうな。
子供にとって、お父さんとは、遊んでもらう相手ではなくて、
何か悪いことをすると叱られる怖い存在であり、
自分にとっての権威であり先生であるのだと思う。
そう、子供にとってのお父さんとは、学校の先生と同じようなもので、
良い先生とは、子供とよく遊んでくれる先生でなくて、
子供にとっての良い手本であり、勉強を含めて色々なことを真剣に教えてくれて、
また、時には叱ってくれる先生だ。
お父さんとは先生のようなもの、
それに加えて、お父さんは働くことが役目であって、
働くべき時に働かず、遊んでくれるお父さんなんて悪いお父さんでしかない。
働いてばかりいても、
子供のこと、家族のことを真剣に愛し、
子供のためになるであろう事をしっかりと教え、
時には誉め、時にはしっかりと叱る。それでいいのではないだろうか。
むしろ、それがいいのではないだろうか。
家族サービスなんて言葉自体がナンセンスだと昔から思ってきた。
お父さんがするべきことは、
家族と一緒に遊んであげることではない。
しっかりと働き、
自分の生きざまを子供に見せ付けることではないか。
それが、子供のために、家族のために一番意味のあることではないだろうか。
家族と一緒に遊んだり、旅行に行くのは、
お父さん自身も楽しいからだ。
自分が楽しいから行く旅行などを、
家族サービスなんて、
自分が家族の犠牲になっているような言い方は情けない話で、
そんなことを言われて一番迷惑なのは子供であり、家族なのでないか。
子供や家族のために義務として遊ぶのではない。
楽しいから遊ぶのだ。
お父さんの子供たちに対する義務は、一生懸命働くことであり、
その生きざまを子供たちに見せ付けることであり、
人間としての教師であり、
子供や家族たちの心の後ろ盾であり、
ボスであることだ。
その上で、
自分と、子供と、家族のために遊べばいい。
「お前たちと遊ぶと、お父さんも楽しいから一緒に遊びに行く。
仕事に疲れているとき、お前たちの顔を見ていると癒されるんだ。一緒に遊ぼう。」
出張ばかりしていて、ちっとも家に帰ってこなかったお父さんが子供たちに言う。
「例えば、自分たちのお父さんは“船乗り”だと思えばいい。
それも外国航路の船長だ。
外航の船員ならば、ほとんど家に帰ってこなくても当たり前さ。
そう、君たちのお父さんは、外で一生懸命いい仕事をしている外国航路の船長だ。」
・・・・・・
なんて、かなり無理のあるこじつけを言って、
私の子供たちのお父さん、
つまり私は、大好きな仕事を好きなだけやっていた。
ある意味では悪いお父さんであった。
私は仕事が好きだ。
仕事中毒が一つの社会問題になっているが、
私もひょっとしたらそうかもしれない。
やらねばならない事を憑かれたように追い、
やればやるだけ、やらねばならない事がかえって増えていく事に、
むしろ快感すら覚える。
それはそうなのだが、
しかし、仕事をやっていないと不安に駆られて自分を見失うということはない。
あくまでも仕事を楽しんでいる。
物事が困難を経て、やがて実現していく事にこの上ない喜びを感じる。
特にライバルに勝ったと思う時はことさらである。
その反面、
仕事から解放されたいという気持ちも、心のどこかにある。
そういう思いは仕事を始めた時からずっと持っている。
私は仕事大好き人間であるが、
その反面、
仕事から逃げ出さない、あるいは逃げ出せない自分に疲れている人間でもある。
仕事が充実している時はその事に気がつくことは稀だが、
何か挫折や失敗があると、がっくり来て、そんな自分を見つけることがある。
今日、がっくりとすることがあった。
上海からの帰りの飛行機のチケットを失くしてしまったのだ。
行きの飛行機の座席ポケットの中に忘れてきてしまった。
困った事に、
それに気がついたのが、
帰りの飛行機に乗るための飛行場のカウンターでチケットを出そうとした時だ。
土壇場で気が付いた事になる。
一緒にいた頼さんが、素早く、中国東方航空のカウンターに掛け合ってくれて、
結局チケットを買い直せばいい事が解り、
失くしたチケットの料金も、
チケットを発行してくれた代理店に報告すれば払い戻されるだろう事も解った。
しかし、それにしても情けない。
初めて海外旅行をしてから多分100回以上の海外出張。
国内も入れれば1000回以上の飛行機利用で、初めてやってしまった大失態だ。
一緒にいた頼さんをはじめ、廣瀬君、酒部君、池本さんたちに、
大変心配をかけてしまったし、
飛行機の時間が迫る中、皆さんにお世話をかけてしまった。
それに何と言っても恥ずかしい。
穴があったら入りたいぐらいだ。
失態をやらかした自分が情けなくて、
落ち込んでしまった。
仕事が大好きであるとか、
休むことなど要らないとか、
子供が小さい時、遊びに連れて行ってやらなかったのは、
男としてやるべきことを一生懸命やったからだとか、
ずいぶん強がりを言い、
自分ひとりで仕事をやっているようなことを言ったものだが、
自分ひとりの力なんてたかが知れている。
たくさんの人に力を貸してもらって、
あるいは、みんなが主体となって引っ張ってくれて、
初めて会社が成り立ち、
前に進んでいるのだということを、
自分の情けなさと、
一人の人間としての弱さをしみじみ感じている時に、
特に痛感する。
12日の昼、
上海浦東空港に着いてすぐに上海の事務所に向かう。
事務所のあるホテルのレストランで、リリアン(張さん)とユイさんと食事をする。
頼もしくなった二人も若い女性である一面を見せる。
テーブルクロスのほころびを、花柄の布できれいに補修してあるのを見つけて喜ぶ
無邪気なリリアン。
その後のミーティングで強力なリーダーシップを見せる酒部部長。
頼もしい限り。
今回は、一泊二日の上海出張。
一回だけの夜を、5年来の友達、上海の頼さん御夫婦と一緒に食事をした。
リリアンとユイさんは、出張ですでに北京に飛んで行っている。
頼さんの奥さんは中国のとても大きな会社の経理、財務の役職者であって、
特に財務に大変詳しい。
以前に頼さんが名古屋に来た時にお渡しした
アイ・タック技研と関連会社の3期分の決算書で、
アイ・タックグループの詳しい経営分析をやってくれた。
中国の財務のプロが、私たちの会社をどのように分析するか、
大変興味があった。
分厚い分析結果をいただいた。
かなりの時間と手間を掛けて、作ってくれたのだろう。
びっしりと漢字が並ぶ。
名古屋に帰ってから李さんにお願いをして、翻訳してもらおう。
ありがたいことである。
※頼さんと奥さん
久しぶりに百楽門ホテルに泊まった。
ここは静安寺というにぎやかな繁華街のど真ん中。
食事のあとちょっとだけ徘徊するが、すぐくたびれて寝る。
※池本部長の楽しそうな顔と上海の街。
次の日、つまり今日(13日)
頼さんが今度やろうとしている修理工場を訪問した。
広い敷地に建設後とても6年とは思えないほど老朽化してしまっている工場。
これを頼さんが徐々に近代化していくのだが、
敷地にはガラクタがいっぱい積み上げてあった。
前途多難ではある。
そのガラクタの影にネコを見つけた。
見つけたというよりも、ギャーギャーとうるさく鳴いていたので、
否が応でも探してしまったのだ。
人を警戒するきれいなキジネコであった。
今度は犬がいた。
この工場に飼われているのだろうか、
首輪も何もついていないが、工場の人になついていた。
中国では猫とか犬に出会うことは非常に珍しい。
ペットを飼うには大変高い税金がかかるのだそうだ。
だから、この猫も、犬も、飼い主はいない事になっていて、
野良が建前であり、ただなついているだけということなのだろう。
工場の門の隣に出ていた朝食を売る屋台。
見ているとすごく美味そうなのだが、
何年か前、李さんから
「屋台の物は絶対に食べないこと。免疫が無いから絶対に下痢になります。」と、
念を押されていたので、
食べることを断念する。
昼、快洗Taoるの陶さんの工場に行く。
まず昼ごはん、久しぶりの訪問に、陶さんは張り切って、
街一番のレストランで、フカヒレなどの大御馳走をふるまってくれた。
我が社では接待は絶対に受けない事になっているが、
ここは中国であるし、陶さんの気持ちを素直にお受けし、
舌鼓を打つ事にする。
ごちそうさまでした。
そのあとは、真剣な打合せ。
ここでも酒部部長がリーダーシップを取る。
陶さんの工場での打合せが盛り上がって、
帰りの飛行機の時間が迫り、急いで浦東飛行場に向かう。
その車の中で、「これでチケットが無かったら、一泊二日がぶち壊しだな」
と冗談を言っていたら、
空港のカウンターで、本当にチケットを忘れてきてしまったことがわかった。
がっくり来るやら、落ち込むやら、
ここまでが順調であっただけに、
自分のバかさ加減と、自己嫌悪に落ち込みそうになるが、
みんなが協力してチケットを買うことが出来たことと、
一人だったらどうしようもなかったことを思い、
自分一人でやっていることは何もなく、
すべてを、みんなでやっているのであることをしみじみ思ったのだ。
何とかチケットを手に入れて、コンコースを歩いていたら、
不意に陶さんと出会った。
誰か友人を見送りに来ていたらしい。
紹介されてびっくり、
私⇒李さん⇒松田さん⇒周さん⇒陶さん
つまり、「快洗Taoる」で私と陶さんを結びつけた縁の連鎖の、
その一人であったのだ。
初めてお会いするが、
飛行機の時間が無く、ほんの少しだけの御挨拶でお別れする。
記念の写真を撮ったのだが、
私のチケット紛失事件で、カメラを持つ手が震えたのか、
ピンボケになってしまった。
みんなに助けられていることを思い知ったあとの
周さんとの出会いは、ただの偶然とは思えなかった。
※久しぶりの百楽門ホテルからの夜景。