2005年12月10日(土曜日)
1300.もう追い込まれた
11月の28日から12月9日まで東名高速の集中工事があって、
大変不便であった。
私自身が直接東名高速を使うことは少ないが、
この集中工事で東名は大変渋滞して、ほとんど使えないような状態になり、
迂回する車が流入しているのか、
名古屋を縦断する名古屋高速なども大変混雑した。
いつも使っている道路が渋滞して余分に時間がかかるようになると、
仕事のペースが全部狂ってしまうのだ。
実際にロスする時間は大したことは無いのだが、
高速道路の便利性とスピードがいつもより無くなると、ものすごく不便に感じる。
いつも有るものが無いと大変不便に感じる。
昔は携帯電話などが無くても、別に不便であるとは感じなかった。
しかし、いまや電話は携帯であることが当たり前になってくると、
携帯を持っていないと仕事が出来なくなってしまっている。
電話も無かった昔は、
往復何日掛かりかの手紙のやり取りで、
ゆっくりとしたペースで人と人の意思の伝達が行なわれ、
ゆっくりとしたペースでビジネスを進められていた。
みんながそうであったから、それで良かったし、それが当たり前であった。
それが、電話が発達し、
手紙が運ばれる時間が一挙にゼロになり、
コミュニケーションの上でお互いの間にある距離が無くなり、
劇的に物事が進むペースが速くなった。
しかし、電話の場合、その人が電話のあるところにいることが必要で、
お互いの距離が24時間ゼロになったわけではない。
それが、携帯電話の普及で、
その人が携帯電話をいつも持っていて、ONにしてさえあれば、
お互いのコミュニケーションは、24時間、その距離をゼロにすることが出来るようになった。
これは劇的な便利さである。
それがインターネットの普及によって、
お互いのコミュニケーションの手段が声だけではなく、
「データ」を送るという手段にまで広がった。
データとは、FAXなどよりはるかに大量かつ高品質の情報であり、
しかも加工できるという情報である。
それも、いっぺんに多数の人に配信することが出来るようになった。
この意味は大きい。
電話は、個⇔個のコミュニケーション。
携帯では、それが24時間のコミュニケーションに広がった。
テレビ、新聞などは、個⇒多数の一方的なコミュニケーション。
インターネットでは、個⇔多数の相互のコミュニケーション。
それが、モバイル化されてかなり24時間的に広がった。
しかし、インターネットにおいては、メールなどで情報をもらっても
返信をしないという方法で、個⇒多数というテレビ的なレベルに落とすことも出来る。
しかし、
この先、テレビ電話が普及すると、
もっとダイレクトな、常時、個⇔多数、あるいは多数⇔多数の、
しかも24時間の、コミュニケーションが可能となってくる。
ここに至ると、コミュニケーションを妨げるあらゆる要素が無くなることになる。
来年4月の本社移転の折には、
ぜひテレビ会議ができる設備を持ちたいと考えている。
かつて、携帯電話が普及し始めた頃、
何時でも何処へでも電話がかかって来る事を、「いつも監視されているようで嫌だ。」
と、携帯電話を持つことを拒絶している人がいた。
しかし、ここまで携帯電話が普及し、
[24時間、個⇔個]のコミュニケーションの便利性を前提とした社会となって、
携帯電話無しでは仕事も遊びも大変不便であり、
生活そのものが不便になってくると、
いつの間にか、ほとんどすべての人が携帯を持つようになった。
インターネットにおいては、
[個⇔多数、随時]のコミュニケーションであるが、
メールをもらっても返信をしない。
ウェブサイトも見るだけで、こちらからは何も発信しない。
などの手段で、
[個⇒多数、随時]というテレビのような、
古いコミュニケーション次元にとどめている人も多い。
まるで、かつて、携帯電話を「24時間監視されているようで嫌だ」と、
拒絶していた人のように。
携帯電話を使わなければ、もう仕事が出来なくなっているように、
インターネットを、便利なテレビのようにしか使わない人は、
より新しい時代から取り残されていくことは明白である。
「いつも有るものが無いと大変不便に感じる。」と同じように、
その人自体が、とても不便な人になってしまうから。
そんなことを考えて、
3日ほど前、
もらったメールには100%返信を出す。と宣言をしたのだが、
返信を書けば書くほど、いただくメールがネズミ算的に増えてきて、
1日100通を超えるようになり、
返信を書くだけでゆうに2時間以上かかるようになった。
ここで頑張るか、ギブアップするか、
私は、早、追い込まれている。
まいったな~~