谷 好通コラム

2005年10月24日(月曜日)

1273.福岡でのお通夜に

今日の朝、訃報が入った。

 

この会社が立ち上げの頃、
大変お世話になったH氏が亡くなったというのだ。
享年61歳、
若すぎる死である。

 

お葬式には年に何度も出席するが、
多くは会社関係の方の御両親であったり、
あるいは自分の両親の兄弟、つまり、叔父さん叔母さんであったりする。
その両方ともが、私より一世代上の方々であり、
多くの場合大往生である場合が多い。

 

しかし、その中に
ぼつぼつと、私と同じ世代の方が混じるようになってきた。
子供がやっとひとり立ちして、
仕事も終盤戦を迎えた頃に亡くなるのは、
働きづめに働いて、でもやりたい事を残しての死となる。

 

無念であろう。
これから人生というものがやっと分ってくる頃なのに、
働き続けただけで、その後の自らを冷静に見つめる時間があまりにも足りない。

 

私も、まだ死にたくはない。
やりたいこともいっぱいあるが、
やらなくてはならない事が、いまだ山積みになっていて、
まだ、とても死ぬわけにはいかないのだ。

 

彼もそういう思いが強かったであろう。無念である。

 

H氏とは10年以上のお付き合いであるが、
特に親密な仲であったわけではない。
心を解き放って話し合ったこともない。
一見すればただの仕事の関係の人であるが、
ある重要な部分でH氏と私とは共通点があって、
他人とは思えなかったのだ。
いつか、仕事を離れて、酒を飲みながらとことん話をしたいと思っていた。
このところ姿を見ないなぁ、と思っていたら、闘病生活に入っていたのだ。
知らなかった。

 

事を成す途中での自分の死は、思うだけでも唇を噛みたくなるほど悔しい。

 

私も健康に気をつけなくてはとは、いつも思うが、
こういうことがあると、なおさら強く思う。
なんて、思うことは思うのだが、
実際にやっていることは不健康の見本みたいなことばかりだ。

 

本当にイカンなぁ~と思うばかりである。

 

 

福岡に出発する夕方、
中部国際空港のロビーには、
強い夕日の日差しが差し込んで、窓に張られたスモークフィルムも効果が足りず、
待合室が陽に浮かび上がって
まるで天国に上ったような不思議な光景であった。

 

 

午後5時近く、夕日を浴びて中部国際空港を飛び立ち、
約1時間のほぼ真西への飛行を経て、
福岡空港に着陸する頃、やっと夕日が沈むところであった。
日本国内とはいえ、
ほぼ真西に飛んだ事によって、
太陽の位置としての時間がほとんど進まなかったのだ。

 

 

突然のH氏の死、ただ御冥福をお祈りするばかりである。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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