2005年09月29日(木曜日)
1255.春よりも秋が好き
たいした理由ではない。
デブである私は暑い夏が苦手なので、だんだん夏に近づく春よりも、
暑い夏から解放される秋のほうが好きだというだけ。
大した理由なんてない。
人は自分の、しないこととか、あるいはしたことについて
色々な理由を言うけれど、
どうも、あとからくっつけた理由が多くて、
なぜそれが理由なのかを掘り下げていくと、たちまち矛盾だらけになって
それが理由ではないところに行き詰る。
あとからくっつけた理由は、すぐにボロが出るわけだが、
それを認め、それを口にした自分を恥じる人は、
救われるチャンスがある。
自分を恥じることが出来る人は、
どこまでも成長する可能性を持ち合わせていると言える。
その理由が、
すべて自分の中にあることを自分の中に落とし込むことが出来る人は、
自分を変えることが出来るということであり、
自分を変えることが、すべての事態を変え得る唯一の手段なのだから、
問題を解決する手段を持ち合わせている人とも言える。
事態のその理由は、ほとんどの場合、中にあるもので、
外的要素の中にあることは滅多にあるものではないのだから。
その人は間違いなく救われる。
しかし、
あとからくっつけた外的要因という理由が、
矛盾に行き詰り、ボロが出てしまった後も、
かたくなに、それが理由であることを言い張る輩は、
論理性に欠けているだけでなく、自分の惨めさを露呈している事に気付いていない。
あくまでも外的要因を理由とすれば、
自分は変わる必要も無ければ、決して変わることは無いし、
当然、外的要因も変わるわけが無いので、
事態の解決はいつまでたってもあり得ず、決して救われることは無いから。
残念ながら。
今日の仲間は間違いなく前者でした。良かった。
亀のトンボは秋も春も好きです。