谷 好通コラム

2005年08月27日(土曜日)

1238.暗黒世界の魔力

たくさんのファンを持つ映画「スターウォーズ」
私も大好きだ。
CGを駆使したその映像は、非現実をリアルな現実のように見せてくれて、
しかも、宇宙という人が考え得る一番大きな単位を舞台にしている。
壮大かつ破天荒な物語。
しかし、私はまだその最新作を見ていない。

 

このシリーズの最初の物語では、
主人公は若き戦士「ルーク スカイウォーカー」であったが、
物語が進む間に、
そのお父さん「ダースベーダー」が、
正しい世界から、暗黒の世界に落ちていくその過程がテーマになってきているようだ。
私はまだ最新作を見ていないので外れているかもしれないが、
多分そうだと思う。

 

物語そのものは複雑だが、テーマは簡潔明瞭であり、
アメリカ映画らしい勧善懲悪ものだ。
暗黒の世界に身をやつし、
自らの欲望、征服欲のために人々を殺す者たちが悪者であり、
それに抵抗する者たちが善である。

 

悪者とは、
自分の欲望、自らの損得のために人の迷惑とか不幸を考えない人。
その行為は罪と呼ばれる。
詐欺、横領、背任、窃盗、強盗・・・・
その最たるものが殺人であり、
お金が欲しいというちっぽけな欲望のために、
人の全存在を抹殺すること、つまり殺人を行なうことが、強盗殺人。
自分の恨みとか憎しみとか、妬みの鬱憤を晴らすために人を殺すことが、
怨恨による殺人。

 

自らの征服欲によって、
多くの人をも殺すことをいとわないのが、この映画の中の「悪の帝国」だ。
デススターという強大な武力を持って、
自らの征服欲だけで、一つの星ごとすべての人を殲滅する。
悪の極限である。

 

人が人を殺すことを正当化しているのが戦争だ。
戦争は、多くの人の色々な欲望が複雑に絡み合って、
お互いに正義の名目を作り出し、
その正義の名の元に、人が人を殺すことを正当化している。
昔も今も、
中には一方的な悪に対抗するための戦争もあるだろうが、
いずれにしても、その行動は、正義の名の元で行なわれていることには違いない。

 

あるいは、
怨恨の殺人において、
殺す側、つまり殺人者の方は、
殺される者が自分に対してどれだけ害のある存在であるかを思い、
被害者のことを憎み、憎みきって、殺す。
だから実は自分こそが被害者であり、相手には殺されるだけの訳があるのだ。
と、自分の行為を正当化する。

 

犯罪を犯す多くの場合が、
「居直り」とか、「身勝手な自己正当化」の元に行なわれる。

 

ところが、
この映画の面白いところは、
その悪が、「甘美な暗黒の世界」として
悪そのものを人間の根源として肯定しているところだ。

 

スターウォーズの何話目か忘れたが、
ダースベーダーが、ルークにこう言った。
直接対決でルークを打ちのめした時だ。
「ルークよ、
わしを憎め。
憎しみ抜いて、
そして暗黒の世界に来い。暗黒の世界は素晴らしいぞ。
圧倒的な力を得ることが出来て、しかも何も苦しまなくていい。甘美な世界だ。」

 

暗黒の世界とは、
自分以外の存在、つまり他人の、悲しみ、苦しみ、痛み、辛さ、損失、不幸などを
いっさい無視し、
他人がどんなに苦しもうと何の痛みも感じず、
自分の欲望のみを動機に残酷な行動が取れる世界という意味だろう。

 

人の痛みとか苦しみを、
自らのそれとして共有することは、自分自身も大変苦しいことだ。
あるいは人の悲しみを見て自らも涙することは大きなエネルギーを使う。
そういったことを一切切り捨て、
人の苦しみとか不幸、痛み、悲しみに無反応な自分を作り出すと、
そのようなエネルギーも要らないし、苦しくもない。

 

人の痛みに無反応になる訳だから、どんなに残酷なことでも平気で出来る。
自分のためだけに、自分の欲望に任せて、
どんなに残酷なことで出来る。
容赦ない行為が取れるということは、
ある意味では、力が強くなるという事になる。
自らの理性による抑制を加えずに出す力は、圧倒的なのだろう。

 

その力によって、自分の欲望が実現していくとすれば、
暗黒の世界が、甘美な世界であるという意味も何となく分る。

 

その逆に、
人の痛みを一緒に感じ、人と苦しみとか悲しみを分かち合うということは、
その事自体に大きなエネルギーを使い、自分の欲望も抑制しなければならない。
苦しいし、悲しい結末になることも多い。
たとえ、何らかの者に攻撃を加えなければならないときでも、
攻撃を加える相手にまで気遣いをしてしまい、
情け容赦ない攻撃をすることが出来ず、
持っている力を存分に発揮することが出来ないことが多い。

 

決して甘美な世界ではないことは確かだ。

 

では、甘美な世界、暗黒の世界に入っていくにはどうすればいいのか。
ダースベーダーが言うとおり、
誰かを憎み、憎みきることなのだろう。

 

「人を愛するということは、相手の人の幸せを願う気持ちのことをいう。」
その逆に、
「人を憎む気持ち」とは、
「自分の不幸に比して、その人の不幸を願う気持ち」と定義したものか。
少なくとも、
相手の幸せを願うことではなく、
その人が不幸になっても、痛みを持っても、悲しくても、苦しくても
むしろ、それは自分が願うことなので、
それによって自分が心が痛むことなどはないし、苦しいこともない。

 

暗黒の世界への入り口は「憎しみ」なのである。

 

人は人を憎む事によって、残酷になることが出来る。

 

「ルークよ、
わしを憎め。
憎しみ抜いて、
そして暗黒の世界に来い。暗黒の世界は素晴らしいぞ。
圧倒的な力を得ることが出来て、しかも何も苦しまなくていい。甘美な世界だ。」

 

暗黒の世界の勝ちか?

 

いや、そうではない。
ひょっとしたら、戦争の次元においては暗黒の世界が勝つこともあるかもしれない。
しかし、平和な世界においては、
憎み、残酷になることによっての強さなどは、
高利貸し、マルチ商法、詐欺、ペテンいずれも、誰も幸せにしないし、
それをする自分自身も幸せにはなり得ない。

 

ここ最近、アウトルックを開くと、数限りなく迷惑なメールが届く。
これを送っている心寂しい不幸な馬鹿は、
それに引っかかる愚か者からの、いくばくかの金を巻き上げることがあったとしても、
それによって自分が幸せになることは決してない。
自分が送った数の分だけの憎しみを、
自分が受けていることを、いつか思い知る事になるだろう。

 

人は人を愛する事によって、
つまり、人は人に幸せを与える事によって、
自らの幸せを、感動と共に得ることが出来る。

 

これは男女の関係でも、親子の関係でも、もっと広く社会的な関係においても、
まさしく、商売における売り側と買う側の関係においても、
どう考えても、その方がみんなが幸せになれる。

 

私は幸せになりたい。
みんなが幸せになれると、やっとそれが実現できるような気がするのだ。
暗黒の世界は、どうも魅力的ではないようだ。
ダースベーダーが幸せであるようには、どうも見えないのだ。

 

 

今日、延べ10日間日本に滞在したトニーが成田からロスに飛んで帰っていった。
ロス アンジェルスはスターウォーズを作ったハリウッドのある所。
トニーのことを考えていたら、
ロス アンジェルスの事を考え、
ロスのことを考えたら、ハリウッドのことが思い浮かんだ。
ハリウッド映画を思ったら、スターウォーズのことを思い出し、
ダースベーダーのあの言葉を思い出したのだ。
今回、トニーからはマナーを学ぶことを通じて、人に対する姿勢の在り方を学んだ。

 

トニーとの最後の夜。

 

 

台風が心配であったが、夕焼けが、静かなフライトを約束しているようで嬉しい。
トニーさん、ありがとうございました。

 

 

今日、千葉・松戸市の五香という場所に、
オートパラダイスの2号店が開店しました。
まだ、何の宣伝もしていないのでお客様は少なく、開店したというより、
何となく始まったという感じですが、まだまだこれからです。

 

開店の応援に行った大貫君からの写真が届いています。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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