谷 好通コラム

2005年06月25日(土曜日)

1198.会社を経営する事

私が独立してからもうすぐ20年になる。
もうそんなにも経ってしまった。

 

独立する時の動機の内の一つに「いつか楽をしたい。」というのがあった。
もっと積極的な動機もいくつかはあったが、
「いつか、楽をしたい。」という動機もあったことは本当だ。

 

私は、独立する前、ずっとガソリンスタンドに勤めていて、
そのほとんどが現場であった。
ある大きな会社では、
背広を着ての企画の仕事に就くように会社から言われたこともあったが、
結果的にはその会社は辞めた。

 

頭と口だけの仕事が好きではなかったこともあるが、
私はいつも現場にいる仕事であった。

 

現場が好きであったというわけではない。
足が悪かったので、現場に出て、立ったり、
歩いたり、走ったりすることは、人より苦手であったのだ。
それでも、
私の能力を発揮するためには現場にいることが一番であり、
このままでは、いつまで経っても現場にいて、
足の痛みと一緒にいなくてはならない。

 

これは、独立をして、
スタンドをいくつも持って、現場に出られなくなるほど、
現場仕事ではない仕事で忙しくならなくては、楽にはなれない。

 

暇になって、楽になりたいとは思ったわけではなく、
私は忙しいことの方が合っているので、忙しく、しかも、足は楽になりたい。
そういう意味である。

 

しかし、独立してしばらくは楽になるどころか、
年中1日も休み無しの、毎日14時間以上の労働が続いた。
ずっと現場である。
店の中をずっと走り回っていた。
サラリーマン時代よりはるかに辛かったが、
「ここで頑張って会社が大きくなれば、きっと楽になる。」
そう思って、歯を食いしばって頑張った。

 

あれからもう20年も経ってしまった。

 

色々色々といっぱいのことがあって、
いつの間にか、気が着いたら足に負担のかかる現場に立つことは無くなり、
しかも、目が回るほど忙しいという、そういう意味では理想の形に近くなっている。
ここ何年かのことである。

 

しかし、楽になったのは“足”だけで、
働く時間は相変わらず長く、
やらなければならないことを山ほど抱え込んで、
かなりきついスケジュールを必死になってこなしている。
しかも本当は、足だって、密な出張に少なからず悲鳴を上げている。

 

本当は、何も楽にはなっていない。

 

 

会社を経営するということは、一体何なのであろう。
自分の欲を満たすためのものか、
楽をして贅沢をするためのものか、
自分の理想を実現するためのものか、

 

ぜんぶ違うようで、ぜんぶ合っているような気もするが、

 

自分の欲を満たすためというならば、
その欲は、物欲とか金欲とかというよりも、「闘争欲」であろう。
「負けたくない」という欲求だけは、人よりもかなり強い。

 

楽して贅沢をしたいとは思わない。
「楽して贅沢」とは、
「人が苦労をしていても自分は楽をしていた方が得で、
それでいて、人よりもお金をたくさん費やすような生活をすること」ということか。
私はそこまで心が貧しくはない。

 

自分の理想を実現するためか?
昔、自己啓発のセミナーを何度か受けたことがあるが、
その中で「マズロー(?)の5段階欲求」とかいうものがあって、
「自己実現の欲求」というのが一番上位にランクされ、
「食欲」とか「性欲」とか「物欲」とかの下位の欲求に比べて、
自分の有るべき理想を実現することは、
人間として一番大きな満足を得られる欲求である。と教わったことがある。

 

なんか、よく解ったような、解らなかったような欲求であるが、
何となく「なるほどなぁ」とは思う。

 

 

少なくとも言える事は、
「会社を経営する」ということは、
自分の存在のすべてをかけて仕事に集中することである。
経営とは自らの全存在をかけなければ絶対に成功しない。
勤務時間だけを一生懸命に仕事をする。なんて事ではまったく通用しない。
それだけは絶対に間違いがない。

 

少なくとも、
経営者にとって、
「休み」なんてものは、不要であり、欲しいとも思わない。
しかし、体とか精神的にある程度は自分休ませないと、
かえって効率が落ちるので、
最小限、休まなくてはならないが、
仕事をすることが辛いことであって、休むことが嬉しいことではない。

 

ましてや、
仕事とプライベートの区別をするなんて発想は、
仕事を仕方なくやっているような、仕事に対してネガティブな人間のものであって、
経営者にとって、生活のすべてが仕事であり、
仕事そのものが生活である。
これだけは絶対に譲れない。
もっと言うならば、
自分の家族もすべて、自分が経営者としてなったならば、仕事の一部となる。

 

経営者にとって、家族にまであらゆる負担を与えて、なお、
家族から支持されるような存在でなければならないし、
経営者としての仕事に自らのすべてを投げ打ち、家族にまでそれを求めても、
なおかつ、家族から支持される自分でなければならない。

 

週休二日とか祝日とか盆暮れのお休みなんてものは、
時間で働く人間にたっぷり任せておけばいい。

 

経営者とは、好きなだけ働いても、誰からも文句を言われず、
どんな苦労をしても、誰からも同情なんかされずに、
思いっきり好きなだけ働ける。
結果を出せば、それでいい訳であって、
企業にとって結果とは、極論すれば「黒字」である。

 

顧客にとって、その商品の中に買って見合うだけの付加価値があれば買い。
その価格が、経費を差し引いても充分な利益を生むだけのものであれば、
「黒字」であって、
会社の黒字とは、
その会社が提供する商品・サービスなどを通して社会に対して与える付加価値が、
社会が必要とするものであって、
その価値が、つまり価格が、
その会社がその付加価値を生み出すのに必要な費用・経費を差し引いても、
なおプラスであったということ。

 

つまり、
黒字とは、
「会社が使ったお金よりも大きな付加価値を社会に与えること」いうことになる。

 

赤字とは、
「会社が使ったお金よりも過小な付加価値しか社会に与えられなかった」ということ。
あるいは、
「社会にろくな付加価値も与えられないのに、無駄金を使っていること」ということ。

 

会社の経営者とは、
自らが経営する会社が黒字であれば、社会に対して貢献しているということであり、
社会は、その貢献の大きさに比した報酬を、色々な形で経営者に与えてくれる。

 

逆に赤字であれば、それは社会に対して一方的に負担をかけているということ。
もっと、平たく言えば、
赤字会社の経営者とは、社会にとってはただの無駄飯食い。
社会はそんな経営者に対して「相手にしない」という方法で、表舞台から追放する。

 

経営者とは、
そういう意味では100%公平な評価を、
世間が下してくれる潔い職業なのである。

 

 

今度、新発売となる「除菌・抗菌・消臭システム“オールクリア”のポスターです。
この商品が社会に対して貢献して黒字になるかどうか、楽しみです。

 

 

一昨日の私の晩御飯。
ちょっと都合があってカミサンが居なかったので、コンビニで買ってきてしまった。
私たちの会社、きっちり社会に貢献しているつもりなので、
それなりに黒字ではあるが、経営者の晩御飯なんてこんなものです。

 

 

同じ経営者の一人である福井の今井さん。
先日、サーキットでのレーシング走行にハマったようだったので、
昨日もう一度サーキットに引っ張り出し、今度は全力走行を3本ほど、走ってもらい、
念を入れて、しっかりとハマってもらった。

 

 

ムフッ、ここまでハマったら、そう簡単には抜け出せないのです。(^^♪

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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