2005年04月24日(日曜日)
1161.ギリギリ三分前!
これを書き始めた今、羽田から福岡への飛行機に乗っている。
チェックインの締め切りギリギリで間に合い、
何とか、無事にこの飛行機に乗ることが出来た。
この話のはじめは、
昨日、20日の朝7:30の飛行機に乗って札幌に向かったところから。
早起きして空港に向かい、
空港で畠中君・大貫君と待ち合わせ、余裕を持って、札幌に飛んだ。
千歳空港には、札幌のMsファクトリーの西岡さんが出迎えてくれている。
西岡さんとは、
札幌に新しく作る快洗隊を合弁会社として運営する予定である。
※この広大な用地。なんと400坪以上あるのだ。
その店舗の設計と見積もりについて、
建設会社の人と打ち合わせをするために札幌にやってきた。
私たちが予定していた店舗建設予算の
二倍以上の見積もりが出たのだ。
とんでもないことだ。
「雪仕様」と言うが、
北海道は物価が私たちの愛知県よりも確実に安く、
労賃だってその分安いはずであって、
私たちの経験値からの予想金額より大幅に高い理由はない。
ましてや、この建設会社は私たちの店舗がどんな仕様の物であるのか、
写真を見ただけで良しとし、
現物の店舗を見に来ようともしなかった。
私は、この建設会社を切るつもりで札幌に来たのだ。
それでも、実際には、色々と話し合って、
先方も解ってくれたようだったので、もう一度チャンスを与えることにした。
札幌は9℃と、それほど低い温度ではなかったが、
風がすごく強くて、体感温度は間違いなく氷点下であった。
とにかく寒い!
北海道を舐めていない私は、
しっかりとパッチをはいてきたが、
パッチをはくことをカッコ悪いと思っている畠中君と大貫君は、バチに当たって、
震え上がっていた。
寒さにはパッチが一番なのだ。カッコよりパッチなのだ。(^。^)
札幌ではもう一つ、二つ大切な仕事をして千歳空港に向かう。
予定していた飛行機より1本早い便に乗れるほど、
ここまで順調であった。
千歳から飛んだのは東京・羽田。
この便は当然ながらジャンボである。
しかし、上空は気流が乱れていて飛行機はひどく揺れた。
このところ乗る飛行機がよく揺れる。
東京での宿は、「○○○ホテル品川ウェスト」というホテルであった。
私は聞いたことがないホテルであったが、
大貫君が取ってくれたホテルで、品川であるなら翌日の予定に近くていい。
空港からモノレールに乗って浜松町。
初めてのホテルで場所が分からなかったので、タクシーに乗った。
しかしタクシーの運転手さんも聞いたことがないと言う。
仕方ないので、
ホテルに電話をして場所を聞き、
そして走ったのがタクシーで2,500円。
そのホテルが有った所は品川どころか、
五反田からもタクシーで5分の所であった。
このホテルなら、
10年ほど前に泊まった事がある。
「○○○ホテル五反田」という名前であった。
出来上がったばかりで、安くしていたので泊まったという覚えがあるが、
不便な所にあったので、泊まったのは一回だけで、それっきりであったのだ。
それから何年か経って、
そのホテルのチェーンが倒産し、
倒産後も、
どこかスポンサーがついたのか同じ名前のホテルチェーン名で運営していたが、
「○○○ホテル五反田」を、
「○○○ホテル品川ウェスト」という名前に変えたらしい。
多分、「新幹線・品川駅」が出来て、
品川が注目された時に「○○○ホテル品川ウェスト」と改名したのであろう。
たしかに、そこは品川の西の方角にあることはあるが、
品川ウェストと聞いたら、
品川駅のすぐ西にそのホテルがあると思ってしまう。
それが狙いで、この名前にしたのであろう。
これは、極論ではあるが“詐欺”である。
品川駅に近くも何ともないのに、
「○○○ホテル品川ウェスト」という名前から、
品川駅に近い所であると“誤解することを期待して”このような名前にしたとしたら、
これは、詐欺と言われても外れてはいないと思う。
ホテルのフロントで
私が「ここが品川?」って聞いたら、
不機嫌そうな顔で「品川ウェストです。」と言ったきり、
その女性フロントマンは私を無視した。
多分、いつも同様のことを客から言われてきて、うんざりだったのだと想像する。
フロントマンもかわいそうだが、無視はイカンだろう。
部屋は当たり前の、ベッドが一つ入っているのが精一杯の狭いものであった。
これで1泊12,500円である。高い!
品川の近くと思って予約した客は、
多分、二度とこのホテルを利用しないであろうから、
引っかかった時に、「取るだけ取ったれ。」の価格であると、私は理解した。
かなり頭に来ながら、部屋に入ったのは夜10時を大きく回っていた。
腹が減った・・・。
コンビニに行くことにする。
近いと思ったコンビには、それでもそこそこの距離があった。
トボトボと歩いていると、
雨が降ってきた。
小走りに行くがそれでもけっこう濡れて、コンビニに着く。
パンを一つと大きな水を買う。(私は生水を飲まない。)
帰りは仕方ないので傘を買うことにする。
傘代695円也。
水とパンの入った袋をぶら下げて、傘を差して歩き始めたら、
雨がやんだ。 ピタッとやんだ。
その間わずか30秒。
695円が、30秒で用無しになった。
情けない。
それでも何とか気を取り直して、ホテルに着き。
フロントの前を通る。
あのフロントマンは私を無視する。情けない。
部屋に入る。
パンをかじりながら、カバンをまさぐった。
早くパソコンを開いて、みんなからもらったメールを読めば元気が出る。
・・・・・
パソコンがない!
飛行機のシートに忘れておいてきてしまったらしい。
・・・・・
しばらく、声が出ない。
一人沈黙のあと、「馬鹿だな~」と思わず独り言。
次の日は東京で仕事をした後、また羽田に戻って福岡へ飛ぶので、
その時にパソコンを受け取ればいい。
前もって係の人に連絡をしておけば、多分早く渡してくれるだろう。
ドオって事はない。
ただ、朝から送受信をしていなかったので、
次の日の夜にパソコンを受け取ったのでは、丸二日メールを受け取れない。
返信を書くことも出来ない。
それだけが心配である。
あとは寝るしかない。
なんかミジメ~な空気が流れるが、
私は無神経なのだろうか、すぐに眠りに入ってしまった。
朝、目を覚まして、ご飯を食べて、
今度は絶対に忘れ物をしないのように何度も何度も確認をして部屋を出る。
何事もなかったようにチェックアウトをして、タクシーを捜す。
出張二日目にしてなんか気力が湧かず、
東京駅までタクシーに乗ることにしてしまったのだ。
すぐにタクシーはいたが、私の1.5倍くらいの体重のおデブの運転手。
行き先を聞くなり「高速乗っていいですか?」
東京の道をほとんど知らない私は、「いいけど、その方がいいの?」
「この時間、高速の方がスムーズなんです。」
ということで、高速に乗ってもらうことにした。
何度かの料金所を通って、車は快調に飛ばした。
東京タワーが右に左に見える。
どこを走っているのかさっぱり分からない。
かなり走って、目的地の東京駅に着いた時には、
料金メーターは5,000円を示していた。
5,000円!
何でこうなったのか分からないが、5,000円であった。
それでも東京の道を知らない私は、何も言うことが出来ず、払った。
東京に着いたところから、何か歯車が狂ってしまったようだ。
情けない。
東京駅で、酒部君と大貫君と待ち合って、
午前の仕事の目的地に行く。
予定通り仕事はうまくいって、
午後からの目的地には、レンタカーを借りて自動車で走っていくことにした。
目的地は「佐野」。
高速は空いていて快調に走り、仕事を順調に終えた。
予定の6時のはるかに前の午後4時にすべての予定が終わった。
順調である。
きわめて順調である。
佐野の山は山桜がただ今満開で、
のんびりと写真を撮ったりする。
「せっかく東京に来たんだし、時間もあるし、どっか洗車場を見学に行こうか」
言い出したのは私である。
練馬で二箇所の洗車場を見学した。
両方とも、
「1158.米式大量連続洗車?」で紹介したアメリカ式の洗車場を模した形式の店舗で、
その迫力からしても、Los Angelesで見た洗車場とは比べるべくもなく、
東京の濃密なマーケットの中で何とかやっている、という感じ。
結果的には、あまり参考にはならなかった。
二軒を見たところで、
羽田飛行場に予定の時間に到着するにいい時間になったので、
羽田方面に出かけることにした。
レンタカーを運転するのは大貫君。
車を前に進めたら、なんかが引っかかっている。
それでもグッとアクセルをふかしたら、その障害物を乗り越えた。
と同時に、
ブッシュ~~~~~~~ッという音。
この音は何回も聞いたパンクの音である。
降りて見たら、駐車場を仕切っている鉄骨を踏み越え、
その鉄骨の角でタイヤを切ってしまったようだ。
あちゃーーっ
何にしても直さなくてはならない。
トランクの中からスペアタイヤと工具を出して、急いで直し始める。
ひ弱なジャッキで車体を上げたら、
今度はジャッキが倒れてしまった。
サイドブレーキがかかっていなかったらしい。
あわてて、サイドブレーキを掛け直して、またジャッキアップしようとするが、
うまくかからない。
ジャッキが倒れた時に、無理な力がかかってジャッキが変形している。
万事窮す。
どんどん時間が経って、下手すると、
羽田での飛行機の時間に間に合わなくなってしまう。
後ろから大貫君が「いや~申し訳ない。」としきりに謝る。
そこは冷静な酒部君。
ボディーのジャッキアップポイントをあきらめて、
フロントサスのロアーアームに直接ジャッキをかけ、強引にジャッキアップする。
うまくいった。
何とかスペアタイヤに交換できたのは、30~40分後。
出ようとしてからでは、1時間ぐらい経っていただろうか。
もう飛行機に間に合わない。
どちらにしても、とりあえず出発してみたものの、
ラジオからは首都高の渋滞情報がどんどん入ってくる。
どう考えても無理だ。
それで、不意にひらめいた。
借りてきたレンタカーを手近な営業所に返してしまって、
電車で羽田に向かった方が早いのではないか?
それはいい!ということになって、
電話で、近くの営業所が「高田馬場」であることを確認して、
急いでレンタカーを返してしまった。
レンタカーの係の人は、
パンクであることにひどく嫌な顔をしていたが、
そのパンクしたタイヤを引っ張り出して確認することはなく、
バンク修理代2,500円を請求した。
つまり、
そのタイヤが鉄骨の角で“切れてしまっていて”、もう使えないことを確認しなかった。
ましてや、ジャッキが変形していることも確認しなかった。
ガソリンも入れてない。
「言わなくっちゃ」と私が言うと、
酒部君と大貫君が「急がないと間に合いません。」と真剣な顔で言う。
その勢いに負けて・・・・
きっと、
あの高田馬場のレンタカーの若いお兄ちゃんは、
あとで上司にこっぴどく叱られたに違いない。
一瞬だがひどい罪悪感に襲われたものの、
電車に乗ってからは、すっかりそのことを忘れてしまった私は不良である。
高田馬場から山手線に乗って、浜松町。
浜松町からモノレールに乗って羽田第二ターミナルまで行く。
その日、福岡に飛ぶのはJALであって第一ターミナルなのだが、
パソコンを忘れたのは全日空であって、
全日空は第二ターミナルなのだ。
第二ターミナルに着いたのは、出発時刻の35分前。
チェックインの最終案内は出発時刻の20分前と決まっている。
だから、あと15分しかないのだ。
浜松町であらかじめチェックインしておく手もあるのだが、
私の場合は障害者割引を使うので、
空港の係員の人のいるカウンターまで行かなくては、
航空券を買ってチェックインが出来ない。
(しかし、考えてみたら浜松町にも係員の人がいた。
ひょっとしたら、事前チェックインが出来たのかもしれない)
第二ターミナルの全日空窓口で、スムーズにパソコンを受け取って、
第一ターミナルへ移動する。
モノレールで一駅移動するつもりであったが、
第一ターミナルに移動するための「動く歩道」があると、案内の人が言う。
どれぐらいかかるのか分からないが、とりあえずそちらに向かうことにした。
意外だった。
動く歩道に乗って、ちょっと早足で歩いたら、第一ターミナルはすぐそこであったのだ。
JALのカウンターに着いたのは、
締切時間のギリギリ3分前。
本当はそこから5分ぐらいは融通が効くみたいなので、
それほどオーバーに言うことではないが、
いずれにしても、ギリギリであったことには違いない。
そして、ゆっくりと、搭乗することとなる。
ここまで来たら余裕たっぷり。
飛行機はチェックインした乗客を滅多なことでは置いていかないのだ。
つい今まで焦りまくっていた大貫君も、ここで余裕の記念写真。
昨日、今日のトラブルに「私は疫病神なんでしょうかね~」としきりに気にしていたが、
そんなことはないのです。
こんなことはしょっちゅうの事なのであって、
最後に、ギリギリであっても帳尻があったのだから、
これでいいのです。
このあと、乗り込んだ飛行機B-777は、
離陸する飛行機で混雑した羽田空港の滑走路で、
10機の離陸の順番待ちをすることになって、結局30分遅れ。
福岡空港に到着したのは、夜10時を大きく回っていた。
もう、腹がペコペコで飢えた野良犬のようになっていた私は、
急いで予約のホテルにチェックイン後、
お目当てのギョウザ専門店「旭軒」に飛び込んだ。
ここのギョウザは、日本一であると思っている。
ものすごく小ぶりなギョウザが独特の風味でカラッと焼かれていて、
一緒に行った大貫君と、無我夢中で食って、
二人で15人前を平らげた。
この店の一日のギョウザは160人前と決まっているそうで、
私たちは、その約10分の一を二人で食ってしまったわけだ。
おかげで、そのあと来たお客さんは、
「すいませ~ん、ギョウザ売り切れちゃったんです。」の親父さんの声で、
すべて追い返されてしまった。
申し訳ないとは少しは思うが、
ここまで苦労して福岡まで来て、旭軒のギョウザを食った客はそういない。
そう思うと、
「食った、食った、満足~。得した~~~。」としか思わなかったのだ。
※食べ途中の旭軒のギョウザ
これで約2人前。
私たちはこれの約7倍半を食ってしまったのだ。
ホテルに帰ったのは深夜12時ぐらい。
アウトルックの送受信を二日分ぶりにしたら、なんと50通以上のメール。
「キャインっ」となる。
寝たのが2時過ぎ。
次の日、つまり今日の大切な仕事を、するために朝7時に起きて、
気合を入れて、
全力で勝負したのだ。
久留米での大切な人たち約50名を相手にセミナーである。
やるだけやれたと思う。
私は少しぐらいはクタバッテいた方が、出来のいい講演をすることが出来るみたいだ。
全部終わって新山口に向かった時には、
座っているのにフラフラしているような気分であった。
やっと、三日目が終わろうとしている。
今は新山口のホテルの中である。
ここまで、三日間の波乱万丈の出張。
明日から、美祢サーキットで、今年初めてのジュニア耐久レースに出る。
体はかなりガタが来ているが、
どうせ一晩寝ればバリバリなのだ。
あとは、ウキウキルンルンで、レースに出て、遊ぶ!
仕事でぐったりしたら、激しくレースで遊んで明日は元気満々なのだ。
きっと。