2005年01月10日(月曜日)
1097.自分の持つ力より
物事がうまく行っている時、
つい、何もかも自分の力でやっているような気になってしまう時がある。
自分には気がつかない内に、
大きな力が働いていることを忘れてしまうことがある。
私が休日に休んでいる時も、
全国のSSの方々、キーパーなどを使っていただいている方々がいて、
身近にところでも、快洗隊は働き続けているし、
私が外に出ている時も、たとえば役員が今年のスケジュールを仕組んでいる。
私自身が出来ることなど小さいことで、
たくさんの人たちの働きが伴ってすべてことが大きく進んでいるものだ。
自分の力が小さいと気がつけば気がつくほど
多くの人の大きな力を借りることが出来ることに気がついたのは、
みんなの力で、物事がうまく行くことに気がついた時だ。
そして、自分の魂に大きな力を与えてくれているものは、
自分自身には気がつかない大きな力があるような気がしている。
自分の脳みそが自分自身を自覚していることが、
自己なのであるのか、
あるいは、脳みそが電気信号として自覚しているもの以外に
“魂”と呼ぶような、そんなものがあるのか。
そのことを私自身では確かめようがなくて、
聞こえない声に耳を傾けようとするが、
私の心の耳は、心の雑音にまぎれて、透き通った声を聞くことが出来ない。
このまま歳をとって、
死んで行くわけには行かないような気がして
少なからず焦るが、焦ってどうなるというものでもない。
心静かに、心静かに。