2004年11月22日(月曜日)
1064.二兎を追う者は・・
「二兎を追う者は一兎も得ず。」とは、
よく使われることわざである。
「猟師が、兎(うさぎ)狩りに野に出て、
運良く一匹の兎を見つけた。
しめたっ、と思って、その一匹の兎を追ううちに、
もう一匹、二匹目の兎が草むらに潜んでいるのを見つけた。
一匹だけの兎をしとめるのはたやすい事だ。
しかし、せっかく見つけたもう一匹の兎、つまり二匹目の兎も欲しくなって、
猟師は、あちらの兎も追い、こちらの兎も追った。
あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、
ウロウロしている内に、両方の兎とも見失ってしまった。
どちらかの一匹の兎に決めて追っていれば、
確実に一匹の兎は捕まえられたのに、
欲張って、二匹の兎とも欲しがったので、結局一匹の兎も捕まえられなかった。」
このことわざの意味は、
「人間、自分の力をわきまえず、欲張って、あれもこれもを欲しがると、
結局、両方とも得られず、台無しにしてしまうものだ。
人間、自分の領分を守っていればいいのだ。」
とでもなるのであろうか。
私はこの話には納得できない。
この“ことわざ”は、ある意味では間違っていると思う。
(そんなに力んで言うことではないが)
猟師はプロである。
二匹目の兎を見つけたのなら、
冷静に、この二匹目の兎も捕らえることを考えるべきである。
「あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、
ウロウロしている内に、両方の兎とも見失ってしまった。」では、
この猟師は、大したことないということだけである。
プロなのだから、
二匹目を見つけたのなら、全力を挙げて二匹ともを狩るべきであって、
ずうっと「二匹とも捕れなかったら、いやだから、一匹を追うことにする。」
なんてやっていたら、
この猟師は、
二匹を同時に見つけるという幸運を、いつまで経っても、活かせない事になる。
二匹を見つけたら、
とりあえず、二匹とも捕ることに挑戦して見なければならない。
はじめは、「一兎も得ず」が続くかもしれないが、
色々と考えて、いっぱい工夫をして、
いつか、二匹を同時に捕ることが出来るようになったら、
この猟師は進歩し、猟師としての能力が上がったことになる。
失敗を恐れて、あるいは失くす事を恐れて、
より多くの成果に挑戦しなければ、
永久に今のままの成果しか得られず、ずっとそのままである。
チャンスとは、求めて与えられるものでない。
チャンスとは、向こうから勝手にやって来て、それを、こちらから摑みにいくものだ。
目の前に現れたチャンス。
二匹の兎をたまたま見つけたチャンスを、
「二兎追うもの一兎も得ず」なんて解かったような顔をして、
二匹目の兎を見逃すようでは、
いつまで経っても、いっぺんに一匹の兎しか捕れないような、
ヘボな猟師にしかなれない。
「二兎見つけたら、二兎を得る工夫をすべし、
二兎を追い、一兎も得られないことを恐れて、
一兎を得ることに甘んずることなく、
躊躇することなく、二兎を得ることに挑戦すべし。」
これが正解だと思うのだ。
「二兎を追う者は一兎も得ず。」とは、
権力者が、人々を飼いならすために作られた方便だと思うのだ。
ビジネスにおいて、
「二兎を追う者は一兎も得ず。」は、あり得ない。
二兎であろうが、三兎であろうが、四兎であろうが、兎の大群であろうが、
これを捕るべく、つまり目的を実現すべく、
全力を尽くすべきなのだ。
チャンスとは、向こうからやってくる。
それに気が付き、
それを掴み取るだけの動機と、
摑み得るだけの力量を身に着けるべきである。
また新しい戦いが始まった。
この人たちが、二匹のウサギを得るための更なるパワーの源に、
私達はならなければならない。
昨日、富士山が見えるところに行った。
東海大学の海洋科学博物館が見たかったのだ。
静岡の三保。