2004年11月04日(木曜日)
1053.透明人間になれば
大昔、私がまた思春期の悪い盛りであったころ
だから、中学生のころか。
透明人間になれたらどんなに面白いだろうかと、
想像していたことがある。
透明人間になって、
自分の姿が誰からも見えなかったら、
テストの前の日に、学校に忍び込んでテスト用紙を覗き見できる。
前もってテスト用紙を見ることが出来たら、100点満点間違いなし。
透明人間になって、
自分の姿が誰からも見えなかったら、
女風呂を覗いて、
好きなだけ女の人が裸になっているところを見ることが出来る。
透明人間になれたら、
嫌いな奴をひどい目に合わせてやれるのに。
透明人間になったら、
欲しいものを好きなだけ盗れる。
誰からも見えないのだから、盗ったのが自分だとは絶対にばれない。
透明人間になって、
考えること、出来ること、やって見たいこととは、悪いことばかりであった。
人は、悪い事はしてはいけないので、しない人と、
悪いことをすると罰を与えられるから、しない人がいる。
透明人間になったら、やって見たいことが、
悪いことばかりであった中学生の私は、後者であったに違いない。
透明人間になれば、悪いことをしてもバレず、
罰を与えられないから、悪いことが出来ると思ったのだから。
自分が自分であることを隠すことが出来れば何でも出来る人は、
後者であるということが出来るのと同じように。
しかし、
理科で勉強したことによると、
動物の眼の仕組みによれば、
眼球の内側にある鏡のような部分(名称を忘れた)に映った映像を
神経がキャッチして物が見えるというではないか。
透明人間のように体のすべてが光を通してしまうのならば、
透明人間になったとたんに、
本人は何も見ることが出来なくなってしまうはずだ。
また、屈折率を学んだ。
光を通すものは、
それぞれに屈折率を持っていて、
体が透明になっても、空気とは違う屈折率を持っているはずで、
ガラスで作った人形が、光は通しても、屈折率の違いでその姿がはっきりと分るように
透明人間も、光は通すが、その姿ははっきりと見えるに違いない。
(“プレデター”のように、ジャングルの中でなら分りにくいだろうが)
そんなことが分って、
自分が透明人間になっても、
何も悪いことは出来ないことを知った。
それから、
悪ガキであった私は、透明人間になることを夢見なくなった。
透明人間になるより、堂々としていた方が気分がいいことも知った。
おととい、風邪を引いたかと思ったが
きのう、ひどくなる前に直ってしまったと思った。
きょう、風邪は治ったはずなのに、きのうより声が潰れてしまって、
一日中カエルみたいな声で喋っていた。
明日は神戸に行く。
快洗隊神戸店内にある大阪営業所(ちょっとへん?)で、
広島、大阪の合同拠点会議である。
あした、私の声はどうなっているでしょう。
左足に大きな“魚の目”が出来て、まともに歩けない。
へんな歩き方をするので、アキレス腱まですごく痛くなってきて、
あさっての東京行き、
その次の日からの上海、大連行きを思うと、このままではイカンと思って、
思い切って、
魚の目を専用の刃物で削った。
素人が余計な事をするとロクなことはないのだが、
削り始めたら気持ち良くて、かなり削ってしまった。
写真で見ると、痛々しそうに見えるが、すごく気持ち良かったし、
ぜんぜん痛くないのです。
きのうの夜。
札幌から飛行機で帰ってくる時、
着陸寸前、こそっと隠れて撮った写真。
東山公園のスカイタワー。
猛獣「チビ」が、金魚の水槽に侵入して、
ハンティングしようとしていた現場を捕らえた。
このあと、水槽には網のフタがかけられ、
残念ながら、チビの狩場はあえなく取り上げられたのです。