2004年10月28日(木曜日)
1049.自由になれる自分
一つの大切な事実
「人は自分の思い通りにはならない。」
ということ。
自分の思い通りとは、
自分の都合にとっての具合のいいことであろうし、
自分の都合は、他の人の都合とは一致しないことであって、
そんな自分の都合に合わせて、他の人にそれを押し付けようしても、
それは無理な話なのだ。
自分の思い通りには、他の人はならない。
これが、子弟の関係であろうが、
上司部下の関係であろうが、
雇用者、被雇用者の関係であろうが、
親子関係であろうが、同じであろう。
子の存在とは、親の存在に隷属することなく、独自の存在として存在している。
つまり、子は親のためにあるのではないということ。
だから、自分の子供を虐待したり、
餓死させたりしても、
「私の子供なんだから、この子をどうしようと私の勝手でしょ。」は、
もっとも憎むべき犯罪となる。
この手の事件ほど悲しい事件はない。
親の意志は子に影響することはあるが、
子に対する決定要素ではない。
子の運命を決定する権利も、親にはない。
それは、あらゆる人と人の関係の中にも言えること。
自分の思い通りには、他の人はならない。
自分は、他の人の思い通りにはならない。
自分の気に入らないことがあると、
他の人を不当になじったり、言葉を荒げて非難することは、
他の人が自分の思い通りにはならないことを、理解できず、
ダダをこねている低い精神の表れともいえる。
つまり、人は自分以外の人の思い通りにはならないと言うこと。
もう一つの重要な事実。
「自分自身は、自分の思い通りに“する”ことが出来る。」
ということ。
今新幹線「のぞみ」の先頭車両に「BE AMBITIOUS」と書いてある。
「望みを実現せよ。」
あるいは「望みは実現する」
とでもいう意味か。
自分は、自分の意志によって、
自分の望み通りの自分にすることが出来る。
自分の境遇の話ではない。
自分自身のことである。
望みの自分自身があって、今の自分がそうでないならば、
自分の意志で、思い通りの自分にすれば良いだけの話で、
自分が嫌いならば、自分の意志と行動で、好きな自分にすれば良い。
自分の自身がどんなふうに変わろうと、他の人がとやかく言えるものでなく、
自分の意志で自分を変えるのだから、
他の人がそれを妨害しようもない。
今の自分が、
他の人のせいで、
今の自分であることなど決してない。
「自分の思い通りには他の人はならないし、他の人の思い通りには自分はならない」
のだから
自分の思い通りになるのは、自分自身のことである。
他の人は、自分の思い通りにはならない。
しかし、他の人に対する自分の存在は、影響を与えることは出来るのだ。
ならば、その人に対して自分が望むような影響を与えられるような自分に変わればいいのだ。
人は人を変えることは出来ない。
しかし、
自分を変えることは出来る。
自分が変われば、自分が人に与える影響も変わる。
そのことによって、その人が良い方向にでも変わってくれれば、
自分は、その人に貢献したことになる。
前話で紹介した酒井さんのように、
自分自身がポジティブに生きていくことによって、
縁あった人に元気を与え、結果的に人に幸せを与えることが出来るのならば、
そんなに幸せなことはない。
この人は幸せな人生を送っている人だと思った。
自分が不幸だと思った時、
あるいは自分のことを嫌いだと思った時、
またあるいは、自分の今の境遇がいやだと思った時、
そんな時は、
自分を変えるしかない。
逆の言い方をすれば、自分を変えればことが済んでしまう。
そして、自分を変えたいと思ったら、
自分の行動を意識的に変えれば良い。
行動を変えると、自然に自分自身が変わってしまう。
たとえば、
今までやらなかったことをやれば、
やる事が出来る人に変わることが出来るし、
やっていたことをやらなくなれば、
やらなくても良い自分に変わることが出来る。
やれないことなんて、何もない。
だから、自分を変えることは自分の自由自在なのだ。
人を変えることは出来ないが、
自分を変えることによって、他の人に与える影響が変わり、
その影響によって、結果的にその人を変えることもあり得る。
自分を嫌っていた人が、自分を好きになることもあるのだ。
そういう意味で、私たちは自由なのである。
そういう意味で、自分は自由になれるのだ。
今日は、朝からテレビの撮影があった。
地元のケーブルテレビの取材である。
秋も深くなった。
秋の花、秋桜(コスモス)の畑も、少ししおれてきた。
北の国は、もう冬になっているのだろう。
新潟の人たちには、つらいつらい冬の訪れになっているのだろう。