2004年09月26日(日曜日)
1028.入れませんでした・・
二日連続の睡眠4時間。
香港で泊まったホテルは超豪華ホテル。
たまたまオープンしたばかりで、ヘェ~っというぐらい安いので
香港の銀行さんが予約してくれた。
そんな豪華ホテルでたった4時間しか眠らなかったのは、いかにも勿体無い。
それでも何とか起きて、
私と、頼さん、荻野君、畠中君
約束の時間ぴったりに集合して、駅に向かう。
誰も朝ごはんは食べていない。
食べるより“寝たい”であったのだろう。
タクシーでホンハム駅に向かう。
駅に着いたのは列車の出発時間の約40分前。
普通に考えれば、余裕たっぷりの到着だが、今回は香港からの“出国”を伴う。
「必ず30分前には駅に入ってください。」と、
香港の方から念を押されていた。
あと10分しかない。
大慌てでサンドイッチを買って、中に入る。
中国に出て行く国際線の入り口は駅の隅の方にあって、
国内線とははっきり違う存在であることを最初から感じさせられる。
中に入るとすぐにIMMIGRATION、
意外と空いていて、すぐに審査を受け通過することが出来た。
頼さんは、係官に一所懸命何かを説明している。
昨日フェリーで香港に入国した時のIMMIGRATIONの係官に、
今回だけと勘弁してもらったと同時に、
出国するときにはその係官にこう説明しなさいと、指示をうけていたらしい。
今回はわりとすんなりIMMIGRATIONを通過できた。
みんなホッとする。
香港から広州への直通特急列車は約2時間余、
ざっと200kmの行程か、
日本で言えば名古屋と大阪ぐらいの距離があるのだろうが、
広大な中国では、隣の都市へ行くという感じだ。
乗ったのは一等車、快適である。
残念ながらパソコンを乗せるテーブルが席になかったので、
ぼぉ~っと外の景色を見ながら居眠りをする。
みんな寝ている。
広州に着いた。
この駅のIMMIGRATIONは二度目だ。
すごくローカルな感じ、係官も田舎のオバサンって感じで、あまり緊張感がない。
私と荻野君と畠中君はすんなり通過して、
また係官に事情を説明をしている頼さんを待つ。
私は、トイレに行きたかったので
「ちょっと先にトイレに行って、下で待っているから」と言って、その場を外れた。
畠中もトイレに行きたかったらしく、一緒に着いて来る。
駅のトイレは分かりにくく、しばらく探してやっと見つけた。
ホッとしたらタバコが吸いたい。
頼さんと荻野君が下りてくるはずの階段が見える所で
駅舎の外に少し出てタバコを一服。
5分、10分・・なかなか降りてこない。
「遅いな~~、なんかまずかったかなぁ~」
元のIMMIGRATIONの場所にはもう戻れない。
階段のところで、
2本目のタバコを吸って、階段の方をじっと眺めている。
荻野部長が降りてきた。
いつもの赤いSONAXのバッグを肩からかけている。
・・・・
頼さんはいない。
荻野部長一人だ。
谷「頼さんは?」
荻野「入れませんでした・・・」
谷「えっ?入れなかったって、どういうこと?」
荻「入国できませんでした。香港へ戻されます。」
谷「香港へ?」
荻「はい、一度香港に戻り、香港のビザを取って、改めて、出て来いということです。」
谷「・・・・・・・」
荻「頼さんは、香港行きの列車が出るホームに連れて行かれました。」
谷「ここまで来て?香港のビザだろ?その香港はもう出てきちゃったんだから・・、もう関係ないじゃない?」
荻「判りません。どちらにしても、ここの入管は駄目だということらしいです。」
谷「・・・・・頼さんはどうだった?」
荻「元気でした。今日の夕方には必ず戻ってくる。と言ってました。」
谷「う~~ん。頼さん、大丈夫かな・・・・」
ビザとは滞在許可であって、入国される方の国が発行するもの。
今回の場合は香港がそうであって、
その香港が、OKであって、もう出て来た訳なのだから、
いまさら、中国当局がとやかく言うことはないと思ったのだが、どうもそうではないようだ。
中国において、台湾と香港は特別な存在。
中国は台湾を一国と認めず、台湾は中国の一部であると中国政府は主張しているので、
台湾人は、中国の国民でもあることになる。
だから、台湾人が中国に入国することは当然であり、ほとんど制限をしていない。
しかし、政府として認めていない台湾政府が発行したパスポートは、
中国では通用せず、
かわりに「通行証」という中国政府が発行したパスポートのようなもので、
中国の出入りに通用させている。
国内の移動すら制限されている中国国民に比べて、
台湾人は実質的にフリーパス状態で、
中国に入ったり、台湾に帰ったりしている。
ただ、中国⇔台湾の直行便はなく、第三国、多くの場合は香港経由で、
行き来しているのだ。
その場合の香港のビザは必要ない。
つまり、
中国⇔第三国(例えば香港)⇔台湾⇔第三国⇔中国
すなわち、香港に滞在しても、香港行きが“通過点としての目的”ならば
香港のビザは必要ではない。
しかし、中国⇔香港⇔中国
つまり、“滞在が目的”である場合は、香港のビザが必要であると言うことらしい。
なぜそうなのかは、私にはさっぱり理解できない。
香港は、中国の一部である。
間違いなくそうなのだが、イギリスからの返還を巡るこれまでのいきさつで、
中国本国とはまるっきり違う法律で運営されており、
それが繁栄の根拠となっている。
逆に言えば、香港は中国に返還されたが、
香港独特の法律と税金体制があって成り立っている“香港の繁栄”を中国は失いたくなかった。
だから、香港の法律をほとんどそのまま残すことを早くに表明して、
香港の繁栄が、つまり金持ちが国外に脱出することを避けたのだろう。
だから、香港は国としては中国なのだが、
実質的に外国であって、中国の法律はほとんど通用しない。
言ってみれば香港全体が治外法権を持っているようなもの。
香港は元々ノービザの国であるが、
中国は、中国人の普通の人が、
香港が発行するビザがなければ出国すら出来ない仕組みにしている。
つまり、明確な用件もなく香港に入ることを実質的に禁止している。
香港人が中国に出入りするのはどうなのだろうか、
それは聞かなかった。
台湾人は中国国民の一部というのが建前。
中国も日本を含む西側の国にはノービザでOKとなっている。
しかし、
中国と香港、そして中国と台湾との関係が特殊な関係であり、
そこにはビザの発行を義務付けることによって特殊な関係を維持している。
この場合、
中国と香港とのビザの発行という特別な約束を守らなかった事を、
香港が例外的にOKしても、
中国当局は絶対にOK出来なかったということなのだろう。
いずれにしても、
頼さんは香港に帰った。
ひとりで列車に乗って香港に戻っていった。
向こうで、何とかビザを取って、(どうやって取るのか私にはさっぱり分からない。)
今日中に広州に帰ってくると、宣言して戻って行った。
広州の駅に取り残された我ら谷、荻野、畠中の三人。
なすすべもなく広州駅に立ち尽くす。
午後から予定していた広州での有力な代理店さん候補でのキーパーのデモンストレーション。
中国語をさっぱり話せない3人が残ってもどうしようもない。
上海に残っている李さんに電話をして、
事情を説明して、今日のデモが出来なくなったことを連絡してもらった。
中国語を話せない日本人3人が、
デモの用意と荷物を抱えて、中国の駅の前に立ちんぼである。
とりあえず、腹が減った。
駅の前にあった「マクドナルド」でハンバーガーを食べることにする。
マクドナルドならば、何を注文したらいいのか、おおよそは解るからだ。
情けない。
仕事が出来なくなって、
大のオトナの男が、3人で、マクドナルドでハンバーガー。
とりあえず腹を膨らませてもやることがないので、
ホテルに向かうことにする。
広州のホテルは、広州で一番有名で高級なホテル。
花園飯店だ。
本当はこんな贅沢なホテルは使わないのだが、
広州の訪問先の人に、
仕事が終わった後「ホテルで送っていくよ」と言われたら、安ホテルでは見栄が悪いと思って、
今回までだけのつもりでこんなホテルを取ったのだ。
(それでも1泊8千円ぐらい)
こちらの価値を分かって貰った後ならば、そんなことはどっちでもいいのだが、
中国では、そんなことも大切なこと。
しかし、それも仕事が出来なくなってしまった今では、
その豪華さがむなしいだけ。
花園飯店のフロント
庭園
昼から夕方の長い時間。
LANの整ったこのホテルで久しぶりのインターネットで仕事をいっぱいした。
頼さんとは携帯電話で連絡を取る。
何とか、香港でビザを取って、広州に向かっているという。
香港ホンハム駅⇒広州の直行特急は、時間うまく合わず、
ホンハム駅⇒深センのローカ列車に乗り、
深センで出入国の手続きを済まして、
あとは高速バスに乗って広州に向かっているそうだ。
ホテルまでの到着は、午後6時~7時
それを聞いて、頼さんに無理を言うことにした。
広州での目的の店舗は夜10時まで営業しているそうだ。
頼さんがホテルに到着したら、すぐに、その店舗に行って、
とりあえず“見学”だけでもさせていただき、
キーパーのデモも明日の午前中にさせていただくことにしたのだ。
一日で香港⇔広州を1往復半した頼さんには申し訳ないが、
この店舗をどうしても?快洗隊の畠中君に見せたかった。
そして、ここまで来た主目的の一つ、広州の代理店の最有力候補へのデモを
どうしても、やりたかった。
頼さんは快諾してくれた。
7時近くにホテルに到着した頼さんは、
私たちの顔を見たとたんに
「本当に申し訳ない。僕のことで迷惑をかけました。」と頭を深々と下げる。
「いやいや、冗談じゃありません。私たちが今回のことをお願いしたばっかりに、
頼さんには大変な目に合わせてしまった。こちらこそ本当に申し訳ない。」
中国ど真ん中の広州で、台湾人と日本人が、浪花節チックに頭を下げ合う。
もう、ジーーンと来てしまったことは言うまでもない。
すぐに、みんなで店舗に向かう。
でも私は行かなかった。
もう、足がパンクしていたし、私の立場で行くわけにはいかないとも思ったからだ。
みんなが帰ってきたのは9時過ぎ。
それから遅い晩御飯をホテルのレストランで4人で楽しく食べて、
この旅は終わった。
あとから、このことをコラムで知った香港の椎葉さんからメールが入った。
タイトル「電話してくださいよ・・・」
「谷社長
昨夜は大変ご馳走になりありがとうございました。
香港の椎葉です。
たった今、プレコラを拝見させて頂いたところでした。
どうしてご連絡頂けなかったんですか?
頼さんの入出国については対応のしようがなかったかも知れません。
しかし、デモの通訳に関しては、
もちろん専門的な内容ですので誰でも良いと言う訳にはいかないとは
思いますが、
広州にも知人は居ますし、
通訳が出来る子も知っていますし、
何かお手伝い出来たと思うと、残念で仕方ありません。
上海、北京については何も出来ないと思いますが、
香港、華南については何か問題があれば何時でも
ご連絡下さい。
エフネット業務支援センター
URL:http://www.chinabiz.com.hk
椎葉 満生 SHIIBA Michio
私は、この華南にも仲間が出来たことを、不覚にも忘れていた。
そのことを悔しいと思ったし、
申し訳ないとも思った。
しかし「なぜ、相談してくれない」と言ってくれたことには、
涙が出るほどうれしかった。
私は、自分でやらなくてはという意識が先走って、
頼るべき仲間たちのことを忘れがちになっているかもしれない。
深く反省する。
広州の空港に向かう時、
太陽がかなり昇っているのに、スモッグのせい?で、
輝かず、
満月の月のように見えた。
まるで、不透明な中国を象徴しているかのように。
しかし、上海、北京、大連、香港、広州、深センと
どんどん増えてくる頼もしい仲間たちがいる限り、
大きな可能性が、確実に実になっていくであろうことを、強く想うのであった。
広州の街