谷 好通コラム

2004年07月29日(木曜日)

人が生きる時、死ぬ時

今、新大阪の構内に停車の新幹線の中にいる。
約1時間前に出発するはずであった新幹線の中で、じっと止まって待っている。
岐阜羽島の駅構内で人身事故があり、
まだ現場検証をしていて、
新大阪駅では上下線とも運転を見合わせているそうだ。

 

列車を止めるほどの人身事故とは、線路上で何かがあったということ。
誰かが誰かにホームから突き落とされたのか、
あるいは不注意で線路上に落ちたのか、
いや、ほとんどの場合は、
“飛び込み自殺”であると、聞いた事がある。

 

詳しい数字は知らないが、あやふやな記憶によると
自殺者の数は年間3万人以上であり、
昨年は過去最高の数であったと新聞に書いてあった気がする。
経済的な理由が最も多いとも。
しかし、自殺の理由は本人だけが知っていることであって、
死んだ人に「あんた何で死んだの?」とは聞くことは出来ないわけなので、
本当の事は分からない。

 

それにしても、3万人以上とは、交通事故死の4倍ほどの数。
交通事故を減らすためには膨大な予算と、
考えられないような交通規制を平気でやるのに、
自殺者を減らすための予算などほとんど着いたためしが無いし、
そのための真剣な議論や政策など聞いたこともない。
何かおかしい。

 

地球上の生物の中で、
自分の意志で、死ぬことを意識的な目的として、
死ぬ為の行動を取るのは、人間だけである。

 

何故、人は自らの命を絶つのか。

 

いくら真剣に考えても、どうしても思いつかない。
私は、「死んでしまいたい」と思った事が一度もないので、
本当にまったく解からない。

 

しかし、反対に、
愛する人が誰かに殺されたら、
その犯人をどんな事があっても“殺したい”と思うだろうと、考えたことはある。

 

自ら自分を殺す。
人が人を殺す。
人が人から殺される。
これらがどういう意味があるのか、あまり考えた事がなかったが、
一人の人が死んだことによって、じっと待っている時、こんなことを考え始めた。

 

 

「汝、殺すなかれ」とは聖書にある言葉。
どの宗教の経典にも、
人を殺すことはきつく禁止されており、
同じレベルで、自らを殺すこと、つまり自殺も禁止されている。

 

たしかに禁止している。
しかし、歴史はその反対を示している。

 

キリスト教の十字軍は、明らかに侵略戦争であったし、
異教徒との戦争は殺人に他ならない。

 

“魔女狩り”は歴史の中でも最もおぞましいヒステリックな集団殺人であった。

 

仏教的信心の強い人達が戦った一向一揆は、
権力に対する叛乱であったが、これも戦争であり相互の殺人。

 

ベトナム戦争の時、
僧侶が米軍に対して抗議の意味で焼身自殺を繰り返した。何であれ自殺である。

 

今、イラクではイスラム教徒による自爆テロが頻発し、
自殺と大量の殺人を繰り返している。

 

自らの宗教のために戦うことを聖戦と言い、
異教徒を殺すことは正当なことであり、
自らの命を絶ち、あるいは戦いの中で殺されることを殉教と言う。

 

「汝、殺すなかれ」の対象は人であって、“人”とは他人でもあり自分のことでもある。
自らの信ずるものに反する“人”は、敵は“人”の対象外であり、
敵を殺す為に自分が自分を殺すことは、自殺の対象外なのか。

 

殺すことを禁じ、自殺することを禁じていることについては、矛盾が多すぎる。
自分が信ずる教えに背く“人”は、“人ではない”?
そんな馬鹿な事があるか。
自分の都合で、経典の教えに例外を作るのは、自分勝手であり卑怯としか思えない。

 

 

君よ、殺すなかれ。
君よ、自ら死ぬなかれ。

 

 

自分の意志で、死ぬことを意識的な目的として、
自ら死ぬ為の行動を取ることが出来るのは、人間だけである。

 

人は、生物として本来的に持ち合わせている最強の本能、生存の本能すらも
打ち負かすだけの“意志”を持っている。
それほど人が持っている意志の力とは強いもの。

 

だから、
金が無いとか、仕事が無いとか、好きな人が振り向いてくれないとか、
病気が苦しいとか、希望がなくなったとか、
そんな事よりももっと強いはずの生存の本能をも打ち負かすだけの、強い“意志”を、
人は本来的に持っているのだから、
その意志の力を、
自らの命を絶つような方向ではなく、
自らをそこまで追い込んだものに向ければよい。
死ぬなんて楽な方向を向くんじゃない。
戦え!生きるために闘え!

 

金が無いとか、仕事が無いとか、好きな人が振り向いてくれないとか、
病気が苦しいとか、希望がなくなったとか、
そんなものと闘え!
最強の本能、生存の本能をも打ち負かすだけの大きな力を持った人ならではの力、
“意志”を持って闘え!
必ず勝てる。

 

君よ、死ぬなかれ。

 

・・・・
車内放送で、「あと10分ほどで出発できます。」と言った。
1時間以上遅れの出発になりそうだ。

 

 

昨日これを書きながら大阪から帰ってきて、夕方、富山に向かった。
我が初孫の出産に間に合おうと思って、富山に走った。
しかし、
富山の病院に着いたときには、
すでに娘の闘いは終わっていて、安らかな平和が、すでにそこにあった。

 

私の2代先の子孫、孫をじっと見つめていたら、
涙が出てきそうで、
感動した。

 

命というものが、
今まで今まで思っていたものより、
もっと大きな、
透き通った、純粋なもののように思えた。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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