2004年05月30日(日曜日)
965話 抗議より弁当か?
大連では2つの目的があった。
1つは、もうすぐ発売の新商品が大連から良いサンプルが出てきてので、
直接工場に行って、詰めをしてくること、
2つ目は、大連の近くの(中国全土の地図では近かった)
錦州という街で、熱心にKeePreにラブコールを送ってくれている会社に行くこと。
大連に行ってから分かったこと
錦州とは、大連から車で片道6時間、往復で12時間もの所にあるということ
中国全土の地図では確かに隣町であるが
中国そのものが日本とは比べ物にならないほど広い国であって、
地図の縮尺もはるかに大きいことに気が付かなかったようだ。
朝早く出て、夜遅く返ってくるパターンになってしまう。
私は仕事が出来なくなってしまうので、
ここは、初中国の鴨井君と李さんの2人で行ってもらうことにした。
大連で待ち合わせたスーパー耐久の田中篤氏に紹介してもらったタクシーを
チァーターして延々と往復600km
朝6時半に出て行って、帰ってきたのは夜10時過ぎであった。
しかし、タクシー代は1500元ほど、日本円で19,500円ぐらいだ。
改めて中国でのタクシーの安さに驚く。
錦州で工場は、すばらしい工場と熱心な経営者の方たちとスタッフの方々が、
彼らを熱烈に歓迎してくれたと言っていた。
ありがたいことだ、私も近いうちにぜひ錦州まで行かねばならない。
鴨井君と李さん、ご苦労様でした。
翌27日は、
朝10時の飛行機で大連から上海に飛ぶ・・予定であった。
朝起きたら、窓の外には不気味に霧がかかっていた。
出発のホテルに“付さん”が見送りに来てくれた。
付さんは、大連にある田中さんの現地法人の総経理で、
かわいい顔に似合わず、バリバリの経営者である。
「これは、まずいかなぁ~」と思いながらみんなで空港に向かう。
大連空港では何事も無いようにチェックイン。
ただし、霧がかかっているので飛行機は1時間ほど遅れるとの案内を貰った。
1時間程度の遅れはよくあること、
空港内の喫茶に行ってお茶でも飲みながら、タバコを吸う。
ゆっくり出来て、ちょうどいい。
11時の出発に間に合うように、手荷物検査を受けて搭乗口に行くが、
その手前にあった搭乗口と飛行機の出発状況を示すインフォメーションに、
なぜか私たちの便が載っていないのかが気にかかった。
ひょっとしてもう飛んでしまったのか。
あわてて、係りの人に聞くと、
その便は“長春”からやってくる機体を使うのだが、
その機体が、まだ長春を飛び立っていない。
だから出発は何時になるか分からない状況になっている。ということだ。
そりゃ大変だ。
上海空港には、快洗Taoるの陶さんに迎えに来てもらっているはずだし、
車聖の任さんとの約束の時間もある。
確かに、空港ビルから滑走路が見えないほどに“霧”が深くなっている
電話で上海に、遅れることと、それが何時になるか分からないことを伝えさせて、
あとは、デンと構えるしかない。
飛行機が飛ばないのは、何もすることはないし、どうしようもない。
ただ、ただ待つだけ。
ただ、ただ待つだけ。
しかし、タバコは吸いたい。
中国の空港には、登場口の辺りに何軒か喫茶店とかがあって、
その店の中ではタバコが吸えることになっている。
長時間の待機となるとそんな店の中は満員になってしまうのだ。
大急ぎで4人分の席を確保する。
さぁ、持久戦だ。
コーヒー飲んで、おしゃべりして、私はパソコンをポツポツと
頼さんは中国の戦時中のマフィアの大物を書いた本を買ってきて読んでいる。
李さんは、原稿ものの中国語訳を、
鴨井は、・・・鴨居はなんだか本を読みまくっている。
とうとう12時時に、
いまだに空港側は、「離陸は何時になるか分からない」とアナウンスしている。
腹減った、昼飯食うか。
その4人分の席を取られたくないので、
その場の喫茶店で軽食を食べることにする。
私は、韓国風の辛味ラーメン。インスタントラーメンである。
頼さんと、鴨井と李は、ワンタンメン
もちろん大してうまくはない。
でも、キャンプみたいで楽しい。
昼を過ぎてから、何機かの飛行機が着陸してきた。
私たちの飛行機は午前10時発の上海発、
ところがその後の午後00時45分発の上海行きと
午後1時半発の上海行きが、さっそうと着陸して乗客を乗せて飛んでいった。
この飛行機が降りられるのなら、
私たちの飛行機もやがて長春からやってきて、この大連空港に降りてくるはずだ。
霧で視界が悪いとき
離陸はさほど問題ないのだが、着陸が難しい。
だから、着陸さえしてくれれば、ほとんど問題なく飛び立てるのである。
どんな状況なのか、頼さんが空港の人に聞きに行ってくれた。
「長春から出発はしたのですが、上海に下りることが難しいということで、
瀋陽空港に降りて、そのまま待機しています。
大連空港に向けていつ瀋陽空港を離陸できるかは分かりません。」
ということ、
と、いうことは!
10時発の飛行機は旧型に違いない。
その後の時刻の2機の飛行機は、霧が少し薄くなった隙を狙って降りてきた。
機体はボーイング737-500であったと思う。最新型に近い機体だ。
自動着陸装置も付いていて、かなりの霧の中でも降りられるようになっている。
しかし、10時発予定の飛行機は瀋陽に降りて、飛び立とうとしない。
つまり、アンビオニクス、電子設備が旧式で
着陸の多くを“目視”に頼っていて、霧が出ると弱い機体なのだ。
きっと!
中国南方航空なので、 MD-82(DC-9)当たりであろう。
初飛行から20年以上経っている旧型機である。
そこに頼さんから情報。
16時20分発の上海行きの飛行機に空席があるそうだ。
これは午前10時発の上海行きと同じように
長春から来た機体がそのまま上海行きになるパターン。
それが1時間遅れの17時20分に大連を出発する予定であることを
頼さんが聞きつけ、その飛行機に乗り換えることを言い出した。
10時発の機体が出発の予定が立たないのに
16時20分発の機体が、1時間遅れとはいえ、出発の予定が経っているということは
その機体が新しい機体であると考えられる。
そりゃあいい、と言うことになって
早速、チケットを16時20分発の上海行きに切り替えた。
その便はまだ3時間後のことだが、
午前10発の便がいまだに出発時間の見通しが立っていないことを考えると
これは大正解のような気がした。
霧はますます濃くなってきている。
ここまで、10時から粘り昼ご飯まで食べたタバコが吸える喫茶店には
6時間以上いた。
すっかり顔見知りになったウェイトレスさんたちとお別れをして
新しい便、17時20分の搭乗口に近いところに行くことにした。
居心地の良い所を確保。
やはり喫茶店であるが、オープン喫茶であるため
今度は、タバコが吸えない場所である。
そこに頼さんがトランプを買ってきた。
「時間つぶしにゲームをやろう」
これが修学旅行とか、何とかなら「ババ抜き」とか「七並べ」とかやる場面だが、
私らは大人、それもかなりひねた大人。
やるのは、当然、博打である。
点数をつけて(金を賭けて)“ブラックジャック”
「ギャンブルなんて、私はマージャンもやった事が無い、」と突っ張る李さんも
「大丈夫、大丈夫」と引きずり込んで、御開帳である。
盛り上がった、盛り上がった。
親、つまり胴元は頼さんである。
そこには今まで見た事が無いような頼さんがいた。
頼さんは元々明るい人だが、博打が始まったら底抜けにハシャイデ
場を盛り上げる。
不謹慎ではあるが、今回の出張では、この時間が一番楽しかったような気がする。
そんなころ、テレビのニュースのための撮影がやってきていた。
ちょうどそんな時、田中さんから電話が入った。
田中さんは、やはりこの27日に大連から福岡便に乗って帰ることになっていて
午前11時過ぎの飛行機に乗るはずであったのだが
やはり霧のために、この便は欠航になったそうだ。
決行が決まったのは午後3時過ぎ。
国際便は欠航にする決定が速いようだ。
私たちなんザ、午前10時の便が午後4時を越しても、いまだ“未定”のままだ。
国内便とはまったく違うようである。
ところで、博打の結果はどうか。
私がマイナス10点(100元=1300円)
鴨井がマイナス109点(1090元=14170円)
李さんプラス!88点(880元=11,440円)
親の頼さんプラス31点(310元=4,030円)
鴨井の一人負け
李さんの一人勝ちである。(やりたがらなかったのに、結局一番勝つとは。。)
ところで、飛ぶはずであった午後16時20分発の飛行機はどうなったのか、
1時間遅れと言っていたが
17時を過ぎてもいっこうに案内のアナウンスが無い。
頼さんが聞きに行ったら、
この便も、出発が未定になってしまったらしい。
10時の便と同じように、瀋陽空港で立ち往生のようだ。
ガックリ来るみんな。
ちょっと無言の時間が経つ。
あたま来た~。
と頼さんが、抗議に行った。
李さんも加勢に行く。
鴨居は見物に行く。
飛べそうに無いなら、早く“欠航”を出して、次の日に便に席を用意してくれれば、
ホテルに帰って、休みを取ることも出来れば、仕事をすることも出来る。
なのに、どんな理由なのか分からないが
とにかく
「まだ、霧が晴れる可能性はある。」の一点張りで、
まったく“欠航”を出そうとしない。
そして私たちは
万が一、この便が飛ぶような事があったら、次の日の便が用意されないので、
とにかく「待つ」しかないのだ。
もう、時刻は午後7時過ぎ。
午前10時の便もまだ未定で、かれこれ10時間を越している。
私は直接見ていないが、鴨井からの報告によると
頼さんと李さんの抗議はすさまじかったそうだ。
カウンターを叩きながら、胸倉を掴まんばかりの勢いで、猛烈に怒鳴っていたそうだ。
周りの人も「そうだ、そうだ」と、
大きな人だかりを作って、同じように抗議をしていたらしい。
(この写真は別の時の写真)
そこへ・・
カウンターの隣で、航空会社からの“弁当”の配給が始まった。
すると・・・
頼さんたちと一緒に抗議していたたくさんの人が
ぞろぞろと一斉に移動して、弁当の前に列を作った。
取り残された頼さんと李さん、そして見学の鴨居。
拍子が抜けて、
抗議もそこまで、
「信じられないよ。同じ中国人として恥ずかしいよ。
みんな怒って抗議をしていたのに、弁当が来たらみんな行っちゃうんだもんね。
やんなっちゃうよ。」
ブツブツ言いながら、頼さんはがっかりして帰ってきた。
周りでは、みんなが“弁当”を、おいしそうに食べていた。
夜も9時
「もうホテルに帰ろうよ。田中さんに頼んでホテルを手配してもらったから」
と、言って結局“欠航”の決定が出ていないまま、ホテルに行くことにした。
外に出たら、霧が照明に浮き上がって取っても綺麗であった。
朝8時にホテルを出て、1時間かけて空港に着き
空港に13時間以上もいて、
また、1時間足らずかけてホテルに着き、
うっぷん晴らしに、また、博打の続きをやって
ベッドに入ったのは、午前2時過ぎであった。
ここは中国、何が起こっても、びっくりしたり、がっかりしないことだ。