2004年05月09日(日曜日)
952話 会社存続の根拠
今、三菱自動車が火ダルマになっている。
三菱自動車製の大型トラックの“ハブ”に構造的な欠陥があり、
多くの死傷者を出す事故を招き
大きな社会問題にまでなっている。
機械は人が作るものなので、必ず壊れるが、
しかし、危険な壊れ方をしてはいけない。
特に、人間の生死に関わるような壊れ方をしてはいけない。
ましてや、その危険が繰り返されてはいけない。
そういう意味で今回の三菱自動車の事件は最悪である。
何故こんなことになったのであろう。
(以下、すべて私の勝手な想像)
ハブが折れたことに因する事故が続いた時、
会社は
「死傷事故の原因が、
自分の会社が製造したトラックの構造と強度にあるかもしれない。」
と、当然のごとく考えた。
強度検査など、きっとテストも繰り返したはずだから、
自社製品に強度的な問題があったことをまったく知らなかったわけが無い。
そして、2つの考え方が交錯した。
1.大変だ。これ以上死傷者が出たらとんでもないことだ。早く対策しなくちゃ。
(☆大切なのは人の命であって、会社としての損害は次の問題。)
2.大変だ。何とかバレないようにしなくっちゃ、会社がとんでもないことになる。
(☆大切なのは会社の利益であり欠陥は隠そう、また人が死んでも仕方ない。)
さぁどうする。
どうする。どうする。どうしりゃいいんだ。
会社の中ではきっと激しい議論が繰り広げられたのだろうと想像する。
それが、経営陣の段階での議論であったのか、
それとも、現場サイドで情報が止められ、現場サイドでの葛藤であったのか、
多分、情報は経営陣まで届いていて、トップの段階での議論であったのだろう。
過去、三菱自動車は、
自社製自動車の重大な欠陥を隠蔽し、社会的に信用を失墜した事がある。
この時は、
企業の存亡をかけて、
品質において、およそ最高の信用を持ち
世界的なブランド力を持つメルセデスベンツの信用力に頼るべく
ダイムラークライスラーグループの傘下に入った。
そしてテレビCMなどの広告で、
「今の三菱自動車はベンツの品質で作られている。」と
あからさまに、現在自己肯定することによって、過去自己否定をして見せた。
個人的には、これは非常に不愉快なCMであった。
品質というものは、そんなに簡単に高められるものではない。
製造段階での高品質確保は、
自社工場での組み立て段階での品質管理だけでなく、
部品を製造する協力工場と呼ばれる部品メーカー、下請け工場の品質管理、
その部品を構成しているそのまた部品のメーカー、つまり孫受け工場、
そのまた下請けの“ひ孫受け”工場の品質管理と、
品質管理の網の目は、
限りなく細かく、しかも末端にまで深く浸透していなければならない。
この品質管理の網の目を構築し、正しくマネージメントしていくには、
膨大な人々が関わっているので、
浸透されるには長い時間と、
製造機械の精度を上げるなどのインフラ整備に膨大な資本の投下を要する。
このように、品質管理とは“文化”と呼べる一面を持っていて、
末端まで含めた会社全体としての取り組みが必要である。
だから、これは会社の経営者の姿勢が大きく関わってくる問題なのだ。
高い品質によるブランド力を持った会社と合併することによって、
すぐに得られるようなものではない。
あるいは
製造過程で品質管理をいかに厳しくしても、
設計的に構造的な欠陥を持っていれば、元も子もない。
また、如何に構造的にしっかりしたものを設計しても、
コストの問題などで、経営陣にその変更を強制され
コストダウンを安全よりも優先させた設計にしてしまうかもしれない。
品質とは、どんな車を作っていくかという会社としての根源的な価値観なのだろう。
話は戻って、さぁどうする。
・・・・
やっぱり隠すことにした。
会社を代表する経営陣の価値観は、隠す方にあった。
隠して現状を放置したら、
また事故が起きて、人の命が失われる可能性があっても、
自社製品に、“また”欠陥があったことを公表して受ける会社のダメージを考えると、
また人の命が失われる可能性に目をつぶることにしたようだった。
これは会社の経営者の価値観に他ならない。
会社とは、
その製品を買い・利用してくれているユーザーの存在によって、
成り立っている。
だから、会社の繁栄と存亡は、
ユーザーに意思そのものにかかっている。
会社が
ユーザーの為になり、役に立つ物を製造、あるいは販売、あるいはサービスすれば、
ユーザーは、“買う・利用する”ことによって、
会社を存続させてくれる。
また、その物、あるいはサービスが
ユーザーにとっての価値の高いものであればあるほど
高い報酬、つまり高い価格で買い・利用してくれるので、
あるいは多くの商品を買い・利用してくれるので、
会社は繁栄する。
会社は、その存在の根拠となっているユーザーに対して、
いかに高い付加価値をもって役に立つものを作り、販売し、サービスを提供し、
ユーザーが買う・利用するという形で報酬を得ることによって、
存続し、繁栄する。
会社の存続と繁栄は、根源的にユーザー(Customer)に拠っている。
顧客第一主義、
カスタマー・サティスファクション、
Customer satisfaction、
略してCS.
とは、顧客に対してへつらい、媚びることではなくて
このように非常に原理的な、簡単なことなのではないだろうか。
今回の場合
会社の繁栄原理からすれば
1.大変だ。これ以上死傷者が出たらとんでもないことだ。早く対策しなくちゃ。
(☆大切なのは人の命であって、会社としての損害は次の問題。)
でなければならないのに、
2.大変だ。何とかバレないようにしなくっちゃ、会社がとんでもないことになる。
(☆大切なのは会社の利益であり欠陥は隠そう、また人が死んでも仕方ない。)
となってしまったわけで、
会社の存在と繁栄の根拠になっている“人”を、
会社の目先の存続・繁栄の後方に置いてしまった。
最も根源的なところでの誤りは、当然のごとく犯罪となった。
この会社はもう無理かな?と感じているのは、私だけではないようだ。
しかし、この経営者たちのもっと大きな罪は、
自分たちを信頼していた何万人にも及ぶ会社に関わる人達の生活に、
大きな不安を、ひょっとしたら失職を作ってしまうかもしれないことだろう。
アイ・タック技研はどうなのか!
他山の石としてこの事件の本質を見極め、
自らのこととして、自省、自戒して行かなくてはならない。