2003年09月26日(金曜日)
803話 真に喜ばしい子
鹿児島の川内(せんだい)市に、義理の従兄弟がいて
キヨシちゃんと呼んでいる
キヨシちゃんは、昔、名古屋のガソリンスタンドに勤めていて
何回か一緒に飯を食った事がある
母親を鹿児島に残してきたこともあって
30歳を越したころ里に帰って結婚した
今は鹿児島県川内市に住んでいる
何年か前、私がたまたま川内市で洗車スクールに出たとき
キヨシちゃんと会った
彼は、川内市内のディーラーでセールスをしていた
久しぶりで、居酒屋で酒を飲みながら話が弾んだ
キヨシちゃんには4人の子供がいる
長女、次女、三女、そして四女
子供は元気であってくれれば、男も女もない
だけど
三人目まで女の子であって
四人目が出来たときには、そりゃあ、「今度は男の子だといいなぁ」と思ったそうだ
しかし、4人目も元気な女の子であった
そこでキヨシちゃんは考えた
この子が物心ついたとき
4人目の自分が、3人のお姉さんに続いてまた女の子であったことを
「両親はがっかりしたのではないか
ひょっとして、女の子であった私は望まれない子であったのではないか」
何かの拍子に
そんな風に感じたら
この子はとても傷つくに違いない
そんなことでこの子を傷つけたくない
それどころか
この子を授かったことは、それだけで何物にもかえがたく
自分たちは100%嬉しいし、幸せなのだ
4人目のその子が女の子であった事が、その喜びを1%でも損ねるものではない
そのことを、この子に伝えたい
そう思ったキヨシちゃんはその子に
「真喜子」と名付けた
“真に喜ばしい子”
生まれてきたその子が、なんであろうと
親の都合にとってなんであろうと
仕事に支障があろうと
そんなことは百万分の一ほども損ねるものではない
その子は
その子であるだけで十分、100%嬉しい子である
自分の子が生まれたとき
私もそうであったように
今日生まれた子に、2度目の、親の幸せを噛み締めている人間がいる
おめでとう!
子供は、親にとって無条件に愛するべき存在である
しかし
子は親の背中を見て育つ
愛すべき子の幸せのためにも
親は自らの生き様をもってしか、子の幸せを実現することは出来ない
愛する子達のために
自分がどう生きるのか、覚悟しなければならない
自分の背中で何を語るのか
喜びの中に、秘めたる覚悟を持たなければならない