谷 好通コラム

2003年07月21日(月曜日)

759話 李さんと陶さん

タオル工場の総経理=社長の“陶建国氏”
つまり、「快洗Taoる」の陶さんは
日本に住む中国人“李Yingさん” より紹介を受けた
(Yingは漢字では“くさかんむり”に“宝”と書くがフォントが無いので漢字で書けません)

 

李さんは、もう9年日本に住んでいる
日本の大学に通っていて日本語はかなり話せる
ほとんどペラペラで日常会話はまったく不自由しない
○○才の中国・西安生まれの女性だ

 

 

4~5年前に彼女のアルバイト先でたまたま会って
それから、何かのきっかけで家族づきあいが始まり
3年前には、私と私の家族を“西安”の彼女の実家に招待してもらったことまである

 

彼女の故郷、西安は中国の西方にあり
上海から飛行機で約2時間ぐらいのところ
かの大昔
中国とヨーロッパの貿易、シルクロード貿易の入り口の街である
その頃は“長安”と呼ばれていた
古い街で、今でも市の中心部は長安の頃の城壁で囲まれている
しかしさすがに中国、古都といっても、人口は1000万人!だそうだ
李さんに家族で西安を案内してもらった

 

始皇帝の墳墓にある兵馬俑は、さすがに圧巻であった
がしかし、もっと印象に残っているのはイスラムの家庭での食事
西安はシルクロード貿易の入り口であって
中近東に近いこともあり、町に大きなイスラム街がある
そのイスラム街に住む李さんの伯母さんの家に遊び来って
昼ごはんをご馳走になったのだ
この話は、このコラムのどこかの話で一度書いた事がある
イスラムの家庭で、日本の家族が
イスラムの家族と一緒に、イスラムの家庭料理をご馳走になって
言葉がほとんど通じないまま
笑って喋って
何時間かのあったかい時間を過ごした
あれは夢のような時間であった

 

※3年前の写真ご招待いただいたイスラムの家庭の人達。大変お世話になりました。

 

 

李さんとは、そんな友達であった

 

そして、去年
李さんとはまったく関係なく
東京営業所の鶴見部長を通じて“頼さん”と知り合った
(なぜ鶴見君が頼さんと知り合いなったか、という話になるとまた長くなるので省略)
その頼さんが
上海で洗車の店を持つというので
私は、好奇心満々で上海に行くことになった

 

去年の8月の話である
その時、どうしても中国語の通訳が欲しかったので
友達であった“李さん”に、上海への同行をお願いしたのだ
私と、森部長と、李さん
李さんは女性なので、男性2人との外国の出張には抵抗があったと思うが
日頃の品行方正ぶり?で信用してくれたのか
張り切ってついて来てくれた

 

一回目の上海出張は、頼さんの店を訪問することが目的の一つ
他に仕事もそれなりに持っていったが
基本的には「上海とは何か?」であった

 

 

具体的な仕事の目的のもう一つが
「洗車専用タオル」の開発
アイ・タックとしては、日本での知り合いの商社に依頼して
上海の業者さんを紹介してもらい
上海では、日本のその商社と上海の商社を取り結ぶ“紹介者”に会った

 

アイ・タック⇔日本の商社⇔紹介者⇔上海の商社⇔上海のタオル工場
こんなルートになる
これが中国の工場で何かを生産するときの普通の図式なのであろう
仲介者が多いのが気になったが
「そこまで安全弁を設けてちょうどいい。中国との取引はそういうものだ。」
とも聞かされていたので
こんなこともあるかと思い
開発の商談が始まったのだ

 

仲介者が多いだけあって
なかなか話がスムーズに通っていかなかったが
それでも最終的には一種類のサンプルが届いた
しかし、それは私たちの要求とはかけ離れたものであった
しかし、回答は「あなたたちの言ったとおりに作ったよ・・・」
その時点で、このルートはあきらめた

 

一回目の上海行きでは
タオルの開発について、もう一人の人に会った
それが「陶さん」である

 

陶さんは、上海郊外にあるタオル工場の社長だという
日本からのビジネス的な紹介も、中国のビジネス的な仲介者も何も無い
突然、タオル工場の社長と直接会ってしまったのだ
現場たたき上げの陶さんは
洗練された商社マンとはまるで違って、素朴そのものであった

 

最初、私達は「大丈夫かな?」
正直そう思った

 

※やっとカメラを向けても笑顔を見せてくれるようになった

 

 

陶さんは、李さんの間接的な知り合いである
タオルの開発について、日本の商社からのルートに加えて
李さんにも、ひょっとして“知り合い”がいたら、紹介してくれるように頼んでいた

 

李さんは“日本のお父さん”に相談をした

 

李さんが日本の大学で勉強をビザを取得するには
日本での身元引受人が要る
それが、奈良に住む老夫婦で
西安の李さんのご両親とのお知り合いだという
李さんは、そのご夫婦を“日本のお父さん、日本のお母さん”と呼ぶ

 

その日本のお父さんの息子さんも、上海が大好きで
たびたび上海に行き、文化交流のために、半分上海に住んでいるような人だという
当然、知り合いも多い

 

李さんが相談した“日本のお父さん”は、その息子の知り合いを通じて
陶さんのことを知っていて
「それなら、陶さんがいい。
とにかくまじめで、信用できる男だよ。」と李さんに紹介してくれた

 

こうして、去年の8月、一回目の上海訪問の時に
李さんと陶さんは、はじめて私たちと共に会った

 

陶さんは日本語も英語も喋れない
李さんの中国語での通訳だけが頼りのやり取りがそれから始まったのだ
上海で、私たちの意向を陶さんに話してから
帰国後、早々にサンプルが届いた

 

要求のものとは、やはり、かなり違ったものであったが
その旨を李さんに伝えると
その日に、陶さんの回答が李さんを通じてこちらに伝えられた
すぐに改善したサンプルを作ってみると言う
そしてあっという間に、次のサンプルが送られてきた
その対応の速さは、驚くべきものがあった

 

何回かの真剣なやり取りの後
それらしいものが出来上がってきて
快洗隊での耐久テストになった
耐久テストなので、時間がかかる
最低2ヶ月使ってみて、そのタオルがどう変化するのか見ることが必要であった

 

そして、今年の1月
二回目の上海訪問

 

一回目の上海訪問では
やはり、商社経由のルートが本命だと思っていたので
その時は、陶さんとは会って話をしただけで
その工場を見に行くこともしなかった
しかし、その後のやり取りで
商社経由のルートがまったくダメであることが分かってきたし
陶さんの熱心さと、すばやい対応によって
これは絶対、陶さんの工場でタオルを開発してもらうしかないと、決めていたので
二回目の上海訪問では、陶さんの工場を見学に行った

 

上海郊外の田舎の風景の中にあった陶さんの工場は
決して近代的なものではなかったが
工場の皆さんが一生懸命働いている姿と
工場全体から“まじめさ”を感じ、すごくいい印象を得た

 

それから、今回の三回目の上海訪問まで
日本での、私たちが納得いくまでのテストと、改善サンプルのやり取りが
繰り返されたあと
途中でSARSの事があったりで、スピードが落ちてしまったのだが
SARS騒ぎの中
李さんの単身で上海を訪問してもらい
私たちがやっているテストの方法を、実際に実演してもらって
意志の疎通が劇的に図られるようになったり
(李さん決死の上海訪問?ありがとうございました。m(__)m )
色々なことがあって
満足のいくタオルがサンプルとしてきた

 

それは、快洗隊の店長をはじめスタッフ達に

 

「今回のタオルは絶対いいですよ。
おろしたての最初から、ズバズバと切れのいい拭き取りが出来るし
動きも引っ掛かりが無くて
スムーズにタオルを動かすことが出来ます。最高です。
耐久性もまったく問題ありません。
これを使ったら、もう他のタオルを使う気がなくなりました。」
と、絶賛してくれるタオルであった

 

そして、今回の量産品の最終テスト合格にたどり着けることが出来たのだ

 

その間に、タオル製造の陶さんの工場だけでなく
紡織工場の沈(シン)さん、染色工場の籟さん、印刷工場の陸さんたちの
“差不多”からの決別
高品質での安定供給に対する意志の一致と多大な協力
そんな大きな輪が上海に出来ていたことを、今回の訪問ではじめて知った

 

 

たかがタオルである
最初のきっかけは、ちっぽけなものであった
“洗車専用のタオルが欲しい”
それを、 “一人”の知り合いが東京から上海に行ったことによって
とりあえず自分たちも行ってみることにした
そこから
国境の民族を越えた“人の輪”ができてしまった

 

陶さんとのやり取りは、いつも李さんを通じて
何度と無く繰り返された
李さんが持っていたファイルは
陶さんから李さんへ送られたFAXは何十枚ものファイルであった
電話でのやり取りは、その何倍もの数であったという
このやり取りを通じて
李さんと陶さんは“同志”となっていた

 

 

アイ・タック⇒鶴見君・頼さん⇒上海へ
谷好通⇒李さん⇒西安の実家・イスラムの家庭
李さん⇒日本のお父さん⇒その息子さん⇒上海の陶さんを紹介
アイ・タック⇔李さん⇔陶さん→沈さん・籟さん・陸さん→洗車専用のタオル完成!

 

考えてみれば
我がアイ・タックが
洗車専用のタオルに行き着いたのは奇跡のようなものである

 

たくさんの“縁”
目先の損得勘定とはまったく無縁の、“好意”だけで成り立った“縁”の連続
信じられないような多くの“縁”が
素晴らしい製品を創り上げ
その誰もが、目先のお金目当てではなく“相手の役に立ちたい”の気持ちだけで
新たなビジネスを創り上げようとしている
これはすごいことである

 

今回のビジネスで発生する中間マージンは“ゼロ”である
あえて言えば
好意でここまで話を進めてくれた李さんに
陶さんと、アイ・タックがお礼として
ビジネスの1.7%を差し上げていくことにした
これは双方が感謝の意味で、ビジネスの中間としてではなく
謝礼の意味で別途提供させていただくことにしたもの

 

だから、輸入コストは非常に安くやれることになった
絶対に良い物を、余計なコストなしに、正当な価格で、つまり安く提供できる

 

人と人の縁だけで創り上げられたこのビジネス
絶対に成功させねば、たくさんの好意の人達に申し訳ない
そう、強く思うのでした。

 

上海でのもうひとつの縁
李さんの伯母さんが上海に住んでいらっしゃる
今年1月、二回目の上海訪問の時に、一緒に行ったGRIT吉田君と荻野君が
その叔母さんのご家庭を訪問させていただいた
(私は原稿書きが残っていたのでホテルで仕事 (ToT)/~~~)

 

その叔母さんが
「今度は吉田は来ないのか?」と、非常に残念がっていたという

 

1月に彼らが叔母さんの家にお邪魔したときに
叔母さん自慢の手作りゴマ饅頭を
叔母さんが、「食べますか?」と聞いたところ
吉田君が
「食べたい!すごく食べたい!」とハシャイダことを良く憶えていて
強く印象に残ったらしい

 

おばさんは、吉田君をすごく気に入って、大好きになって
今回は「吉田は来ないのか」と
残念がったというのだ

 

吉田君は、自分は自分で、上海に貴重な“縁”を作っていた

 

(参考)
グリットコラムの
2003年01月23日(木)
「行くぜ上海!」に、叔母さんの家を訪問したときのことが書いてある

 

 

三回目の上海出張が終わるころ
李さんがしみじみ言った
「私は、日本に来て、アルバイトをしながら長い間学校に通ったけど
取り立てて目標が無いまま、なんとなく時間が過ぎて、今まで経ってしまった。
だけど、今回のタオルのことに関わってから
毎日がものすごく充実していた。
楽しかった。
今度のことで
自分が何をしたいのか、よく分かったような気がする。
これから人生をやり直したい。
そう思った。
まだ、間に合いますよね?」

 

「もちろんだよ!」
それ以外の言葉は見つからなかった
私は、上海に来て、本当に良かったと、また思った

 

李さんは、ものすごく勉強熱心で、努力する人
しかも、信じられないぐらい謙虚な人

 

そして、人を思いやる心の塊のような人
しかし、芯の強いしっかりした人
実は、ビジネスに一番必要なものを、きちんと持っている人なのだろう

 

素晴らしい“縁”をいただいたことを、天に感謝したい

 

上海はすさまじいばかりの発展をしている
この街がこのままの発展を続けていくとは思えない
どこかで、何かが起こるのであろう
それでも、人々のパワーそのものは決して衰えることが無いことはたしかだ

 

 

さぁ、今度はいよいよ「頼さん」と「快洗隊」の話
今日中に書けるであろうか

 

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