2003年03月21日(金曜日)
669話 我こそは被害者
また大きな戦争が始まった
しかし、この戦争が地球の上での唯一の戦争ではなく
内戦とか、部族間の戦いなど
いつもどこかで戦争は行われている
人類の歴史上、まったく戦争の無かった時間は一瞬たりとも無かっただろう
人は本来的に好戦的なのであろうか
戦う事が大好きで、みんな大喜びで戦うのだろうか
決してそんなことはあるまい
誰一人として
自らの死を賭けて相手を殺すこと
そんなことを喜びになんかにしている人間はいない
もし、そんな殺人狂がいるとしたら
それは精神的に異常をきたしている特殊なケースであろう
間違いなく、すべての人が
自分が殺されることは、恐ろしいと思っている
そして他の人を殺すことを快感とは思っていないし
罪悪と思っている
では、なぜ人は戦争をするのか
それぞれが「被害者」であるからだと思う
自分は正義であり、敵は加害者であり悪であり、自分はその被害者
お互いが同じようにそう思っている
あるいは、そう思い込まされている
「お互いが、自らこそが善であり、正義であり、我こそは被害者」
人はその「被害者」であるという部分に、敏感かつ一番多くの人が反応する
人は、いつも自分が満たされているとは思っていない
不幸であるとは思わないまでにしても
幸福であるとはなかなか思えない
「他人の庭はきれいに見える」という喩えのごとく
自分の置かれている状況より
他の人の存在の方が、羨むべきもののように見えるし、羨ましく思える
他の人よりも自分のほうが不幸に思える
自分より他の人のほうが幸せに思えるし、そう見える
自分が不幸なのは、その自分より幸せに見える“その人のせい”と思えてくる
あるいは
もっと幸せになれるはずなのに
“あの人のせい”でその幸せが手に入らない
あるいは
あるいはもっと豊かになれるはずなのに、金が儲かるはずなのに
この人がこんな事をしているから、豊かになれない、儲からない
私の幸せがこれっぽっちなのは、あるいは不幸なのは
“○○○○のせいだ”
「我こそは被害者である」
「加害者であるあいつが悪い」
「私は正しいのに、あいつが悪いから、あいつが加害者で、私は被害者なのだ」
!!私は被害者なのだ
だから!悪いあいつが、私に何をされても文句は言えまい。
!私は被害者、正しいのだから、悪いあいつに何をしてもかまわない。
!!!!殺されたって文句は言えまい。
!!私は、殺したってかまわないのだ。「我こそは被害者」なのだから
!!!!!殺せ!殺せ!殺せ!
悪いあいつらを殺すのだ!
戦争に向けて、人々を高揚させるもっとも効果的なプロパガンダー
「向こうが悪い、やられる前に殺せ!」
「わが神国を愚弄し、侵略の先鋒たる鬼畜米英を殲滅せよ!殺せ!」
「真珠湾を忘れるな!ジャップを殺せ!」
「人民を搾取し、弾圧するブルジョアを殺せ!」
「世界の富を独占しようとたくらむユダヤを殺せ!」
「自由社会を脅かす共産主義の手先を殺せ!」
「わが民族の血を汚すな。殺される前に凶悪なあの民族を殺せ!皆殺しだ!」
「わが教えの神こそ真実だ、真実を潰そうとする邪悪な異教徒を殺せ!」
「大量兵器を、邪悪な独裁者に持たせておいたら、危険だ!殺せ!」
「大国の横暴で、わが民衆が苦しんでいる。悪の根源を殺せ!」
被害者が持つであろう加害者に対する正当なる憎しみ
お互いが、お互いにそれを増幅させた時
戦争は始まるのではないか
いや、そうではない
多くの場合
一部の権力者、一部の私利を貪る者の
利害あるいは権力欲によって発生した「利害関係」が
増幅して
「われわれは、被害者である」と
プロパガンダーを始めた時
そして、民衆がそれに煽られ、乗ってしまったとき
つまり、その指導者、権力者の扇動を支持してしまった時
戦争が始まるものでないのだろうか
「被害者意識」は、それを煽られた時
理性を失い、どこまでも残酷になれる
人を殺すことさえできる
だから
戦争すらできる
しかし
そんなことは、日常茶飯事のことで
われわれの生活の中ででもいっぱいあることだ
人が誰かの悪口を言い始め、
「あいつはこんなにひどい奴だ」
「俺たちは被害者だ」と言い始めたら
その時、人は理性を失い
残酷になり始めている時だと、自省しなければならない
戦争の芽は
一人一人の理性の弱い部分に巣食っているもの
本当は誰も、一方的な被害者なんかじゃないはずなのに
その弱い部分が、弱いが故に最も煽られやすい部分でもある
そんな風に思うのです。