谷 好通コラム

2003年02月12日(水曜日)

641話 上海から頼さん

今週の日曜日から
上海から「頼さん」が来ている
私たちの2回の上海行きで
色々と話をして来た結果
上海の洗車屋さんの社長・頼さんが研修に来てくれたのだ

 

そもそも、私たちが上海に行くようになったきっかけが、頼さんであった
私が彼と始めて会ったのは新宿

 

当社の鶴見部長から
「頼さんという人が、上海での洗車について色々相談したいと言っています。
たまたま日本にくる用事があるから会って下さい」と、依頼があったのだ

 

頼さんは台湾生まれの、台湾育ち
母親か、オバアちゃんか(どちらか忘れてしまった)が日本人で
日本には元々縁があって
台湾の大学を卒業して、日本に来た
日本語学校に2年行って、その後、日本の大学に4年通い卒業した

 

その間、ずっとガソリンスタンドでアルバイトをしていて
夏休みとか、日本の大学の長い休みの期間は
朝8時から夜12時まで
1日16時間も働いたそうだ
そんな時は、給料を30万円取ったと、うれしそうに言っていた

 

しかし、そのお金は
おいしいものをいっぱい食べて、遊んで、全部使ってしまったとも
やはり、うれしそうに言っていた

 

その後、上海の実業家のもとにお嫁入りした頼さんのお姉さんを頼って
上海に渡り
日本のガソリンスタンドの会社が
上海で、洗車と修理の合作会社を作るという話に接し
その日本の会社で1年半勉強した

 

当社の鶴見部長が、頼さんに出会ったのは
その頃のこと
洗車の勉強の一環として
頼さんが、わが社の東京営業所でのワンデースクールに出席したのだ
彼はそのワンデースクールで
「鶴見さんは、教え方がすごく上手いね」と感動して
お付き合いが始まったらしい

 

頼さんはその後
日本側の代表として再び上海に渡った
私と会ったのは
その日本の会社が新宿にあって、たまたま日本に戻っていた時であった

 

しかし、その合作会社の話は、色々な経緯があって
結局、無くなってしまった

 

そんな訳で
頼さんは宙に浮いてしまったのだが
なんと!頼さんは
日本で医院を開業している自分のおじさんを口説いて
スポンサーになってもらい
その合作会社を自分の会社として買い取ってしまったのだ

 

だから、頼さんはその会社の社長
中国で言えば「総経理」になってしまったのだ

 

何とも、たくましい話ではないか

 

そして、「上海で快洗隊やるよっ!」と言ってくれているのだ
何ともシビレル話ではないか!

 

東京ワンデーでの、ちょっとした出会いが
たった2回の上海行きを経て
短期間のうちに、一気にここまで話が膨らんでしまった
これこそ運命である

 

 

この話にすっかり共感してしまったのが
?快洗隊の代表になったばかりのH.オサム=畠中であった
熱心に教えれば
目を輝かせて、食い入るような眼で学ぶ頼さん
畠中は、その姿に1年前の自分の姿を重ねているのかもしれない

 

夢を熱く語る、頼さん

 

 

ソウダ、ソウダと調子に乗るH.オサム

 

 

午前中、刈谷ワンデーをやってから神戸に行った
途中、伊吹山が晴れた空に浮かんでいて
山の雪がだいぶ解けてきていて、春が近くなっていることを知らせていた

 

 

神戸から移動して、ただ今、山口県小郡のホテル
「さては、明日はMINEに行く気か?」とお思いでしょうが
残念ながら“仕事”
昼には、小郡から四国に渡るのです

 

せっかく小郡まで来ていて、なんとMINEはオアズケなのです (ToT)/~~~

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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