谷 好通コラム

2002年07月15日(月曜日)

470話 何とかしちゃう

昨日は耐久レース
しっかり遊んだ

 

今日はそのお返しで、どっさり疲れが来るかと思ったが
それ程でもなかった
もちろん、足がだるいし、体中に力が入らない
しかし、筋肉痛にはなっていないのだ
何か変だなぁ~
そう言えば、歳を取ってくると、筋肉痛が翌日ではなくて
中一日置いてから、やって来るという話を聞いたことがある
それか?
その代わり歯が腫れて痛くなり、歯医者さんに行った
疲れから来たもの

 

これを書き始めたのは、夜の9時過ぎ
大阪行きの新幹線の中
本当は、明日午前中に大阪に行けば、セミナーに間に合うはずであったのだが
明日の朝は
台風が近畿・中部地方に上陸すると、ニュースで言っていたのを聞いて
急遽、今日のうちに大阪に入ることにしたのだ

 

明日は、ひょっとしたら強烈な筋肉痛がやってくるかもしれない
すでに右指の腱鞘炎は、もうかなり痛い
少し憂鬱である
しっかり遊んだのだから、仕方ない

 

 

私がレースを始めたのは、2年前の今頃
広島のある得意先の責任者から
同級生だという清水さん(師匠?)を紹介された

 

それでMINEサーキットに彼のレースを見に行き
色々話をしているうちに、いつものごとくハマってしまったのだ

 

清水さんは、レースでの源氏名を持っている
「テツ清水」

 

清水さんが若かりし頃
だから、かなり昔にはなるが
「生沢徹(テツ)」というスタードライバーがいて
彼は熱狂的なファンであった
だから、清水さんはレース界に入ってから
「生沢徹(テツ)」にあやかって
自分のことを、「テツ清水」と名乗るようになったのだそうだ

 

彼は51歳(のはず)
十代の頃からレースを始めているので
かれこれ30数年、ずっとレースを続けている

 

文化が違い、レースに長い歴史があり
社会のレースに対する理解が深い欧米なら、ありうる話だが
この日本では
このような人は極めてまれだ

 

日本で、レースを長く続けていくには、あまりにも障害が多い
では何故、テツ清水は
こんなにも長くレースを続けていられたのか
レースに対する情熱が人並みはずれて強かったからなのか
もちろん、それもあったであろう
しかし
レースが心底好きな人は、いっぱいいる
好きなだけでは、レースなど続けることは出来ない

 

私は、最近、気が付いた
テツ清水は、ずば抜けた「実現力」を持っているのだ

 

レースを続けていると、色々な困難に直面する
まず、資金面だ
草レースでもそれなりにお金はいる
たいていの人は、借金をしてそれが積み重なり、限界を迎えてレースをやめる

 

しかし、テツ清水はあきらめない
「何とかならんかなぁ」
きっとブツブツ言いながら、秘策を考えるのだ
決して絶望感を持たない

 

テツ清水の回顧録に「いよいよ困った時、夕日を見てジ~ンとしてしまった」
というようなことが書いてあったが
ジ~ンとするだけで、次の日にはまた「何とかならんかなぁ」
で、決してあきらめはしないのだ

 

かといって、人を騙すような事は決してしない
そんなことをしたら、たちまち人の輪が小さくなってしまう
テツ清水の周りには
いつも人がいっぱいだ

 

レースの時になると、特に耐久レースでは沢山の人の力が要る
今回のレースでも
テツ清水の「S&Sレーシングチーム」は、3台もエントリーしたので
前話の最後の写真のように、何十人も参加した
しかも、その一人一人がすべてボランティア
無償で来てくれているのだ
「人徳」なのだろう

 

これだけの多くの人が支えてくれているのも
「何とかならんかなぁ」の原動力になっているに違いない

 

どんなに困ったときでも
決して投げ出さず
しつこく「何とかならんかなぁ」と、思い続けること
これこそ、「実現力」の源である

 

そして
なんとか工夫して
「何とかしてしまう」

 

実はこれは、「経営者」の資質そのものなのだ

 

そう思って
以前、事業を起こすことを、真剣に、テツ清水に提案したことがある
しかし
「私はそんな器じゃないですよ」と、軽く一蹴されてしまった

 

自分の才能に気が付かない人は多いのだ
惜しい
実に惜しい

 

※紙切れに、3台分の作戦を10分足らずで立ててしまうテツ清水と
フムフムと、感心してのぞき込むH.オサム

 

 

※残念ながら今回は2位であったが、商品が山ほどあった
「DVDビデオデッキ」
「日清のカップラーメン180個?」
「ふぐ雑炊の素たくさん」
「米50kg」
そして、もちろん「賞金ウン万円」
これだけもらっても
テツ清水は、1位の「25型カラーテレビ」の方が良かったと
未練タラタラであった
(前日、テツ清水の家のテレビが雷で壊れてしまったのだそうだ、ホントかいな?)

 

 

テツ清水の37番シビックの、スタートドライバー上村さん(童顔だが年齢不詳)は
車から降りてから
あまりの疲労で、10分ほど動けなかった
(彼は35周走った)

 

 

しかし、同じぐらいの周回数を走ったラストドライバー51歳・テツ清水は
ゴール後もケロッとしていた
この不死身の体力も
彼が長続きしている大きな要因ではある

 

私にゃ~とても出来ん (*^。^*)

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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