谷 好通コラム

2002年07月07日(日曜日)

462話 ほおづき風船

今日、親父の一周忌の法事があった

 

法要が終わり、集まっていただいた親戚の方々と食事をした
挨拶の仕方が分からなくって四苦八苦
それでも何とかつとめて、ホッとする

 

皆さんを見送ってから
塔婆を持ってお墓に行くことになった
弟の家族の車と2台で、お寺に向かう
しかし、途中の踏み切りで私の車が渡っている途中で鐘が鳴り出し
弟の車は、踏み切り手前に置いてけぼり

 

しかたなく別々に、お寺に向かう

 

そのお寺には、私達家族のために立てられたお墓がある
親父が10年ほど前に立てたもの
その新しいお墓には、親父が入る前に
その寺にすでに埋葬されていた私の兄貴が、その新しい墓に入っていた

 

私には兄が一人いて
その兄は生後4ヶ月で亡くなっている
赤ん坊の時だ
だから、私は兄を見たことはない
昔のことなので写真もない

 

ただ、兄が生まれた頃の話を親父が何度もしてくれていて
私は兄のことを、私は知っているような気すらしている

 

お寺への道は
もう何度でも走っている道なので
いつものように最短距離のルートで走るつもりでいた

 

ところが
不意に、曲がるべき交差点を直進してしまった
「しまった」

 

ナビを覗いたら、その先に、お寺に行ける道がもう一本あった
“通ったことのない道”であった
しかし、ナビのディスプレーにはっきり出ている
私は、迷うことなくその道を行くことにした

 

そして
その道に入ってまもなく

 

「あれっ? ここ俺が生まれたところだよ」

昔は、そこには田んぼと、畑と、丘と、池と
親父の会社の社宅であった平屋の一群(何故かエー団と呼んでいた)があっただけ

 

その後、宅地造成が進み、道もいっぱい出来て
私が生まれたところ、エー団は、どこであったか分からなくなってしまっていた
それどころか私は
そのこと自体を忘れていた

 

その記憶のもっとも奥底で、残痕の記憶として残っていたエー団の地形が
目の前に現れた

 

新しい家が建ち
そこに有ったはずのエー団は、面影のかけらも残っていなかったが
間違いなく、そこは私が生まれたところ
その地形が、記憶の痕跡にぴったりと一致している
池のあった場所は公園になっていた
しかし、畑の丘は、その頂上に立つ樹まで、そのままであるような気がする
記憶のタイムカウンターが
超高速で戻っていく

 

その時、一瞬であるが

 

そこでの幼い頃の生活のことではなく
家族で名古屋に引っ越して出てきてから
里帰りのように
お袋と一緒に、エー団を尋ねたときの出来事を
瞬間の映像として思い出した
私がまだ幼稚園に通っていた頃の事である

 

私は3歳のときに小児マヒにかかって、しばらく歩けなかった
幼稚園に入っても、しばらくはビッコがひどかった

 

ずいぶん歩けるようになった頃
家族と一緒に名古屋に引越し、名古屋の幼稚園に一年ちょっと通った
そんな頃
お袋とエー団に行った
何の用事であったのかは、もちろん知らない

 

エー団から名古屋に帰るとき
お袋は迷った
早く帰るには、国鉄共和駅に歩く方が近い
だけど、私の兄の墓があるお寺に寄って行きたい
お寺に寄っていこうと思うと
国鉄大高駅に行くことになる

 

大高駅までは、ちょっと距離がある

 

「ねぇ、ヨシミチ
お母さん、“進八”のお墓にお参りしたいんだけど
そうすると、だいぶ歩かなきゃいかん
ヨシミチは歩けるか?
もう、だいぶ歩けるようになったら、大丈夫だと思うけど
どう?」

 

そして、私はお袋と一緒に歩き始めた
ジャリ道であった

 

木陰を見つけては少し休み、少しずつ、一緒に一生懸命歩いた

 

休んだ木陰のひとつに、ほおづきの実がなっていた

 

そこで一服をすることにして
座り込み、お袋は“ほおづき風船”を作ってくれた

 

ほおづきの実の中身を、ツマヨウジのように細い枝でほじり出し
皮だけ残して
オレンジ色の風船のようにする
・・・
昔の子供の遊びだ

 

私は、これが下手だった
実をほじっていくうちに必ず皮が破れて、風船を作れなかった

 

この時、お袋が作ってくれた“ほおづき風船”を
鮮明に憶えている
うれしかった
そして、それを作ってくれたお袋の優しい姿を、憶えている

 

お袋は厳しかった
足に病気を持ってしまった私を、励まし、叱咤し続けた
怖くはなかったが、優しくしてもらった記憶があまりない
正直言うと、全く、無い
それが、ハンディを持ってしまった私にとって
お袋の出来る最良のことだと思ったのだろう
(なのに?だから?私は、悪がきであった)

 

そのお袋が
兄のお墓に行きたくて

 

若きお袋が、何年か前に生まれて、まもなく亡くなった進八の墓に行きたくて
私に、ちょっと無理かもしれない距離を歩かせようとしたとき
見せたことのない優しさを
不覚にも見せてしまったのだろう
あるいは、ほおづきに、進八のはかない命を見たのかもしれない

 

その光景を
絵に描くことも出来るぐらい鮮明に思い出した

 

親父が見せてくれたのか・・

 

その事を、夕方お袋に話したら
「そんなこと、色々あって憶えてないよ!」

 

年取ったお袋だが
そして、親父がいなくなった事がちょっと応えているお袋だが
私には
いまだに、優しくも厳しいのである

 

法要の一日であった

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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