2002年03月20日(水曜日)
373話 ネガティブ?
私が大嫌いなことのひとつ
車の運転をしながら
火が着いたままのタバコを、窓からポイと捨てること
見ただけで腹が立つ
大嫌いだ
ひどい場合は、運転席と、助手席から同時に捨てるのを見たことがある
灰皿が汚れるのが嫌だから
灰皿を使わずに、外に捨てるのだそうだ
やっている本人に言わせると、「キレイ好きだから」だそうだ
冗談じゃない
自分勝手なだけである
自分の灰皿が汚れる事と
道路が汚くなり、ましてや火が着いているのだから
人の家や道路が火事になるかもしれない事を
天秤にかけた時
「火事になったって、人のことだから知ったことじゃない
そんな事より、自分の車の灰皿が汚れないほうが大切だ」
そういう価値観は
人間として“最低”である、と思う
自分の車の灰皿が汚れるのが嫌なら、タバコを吸わなければいいだけ
根っからのエゴイストだと思う
成熟した人間は、社会性を強く持ち、知的である
人間も、赤ん坊の時は自分勝手・エゴのカタマリで
与えられることだけを当然の権利として主張する
満たされなければ、神経を逆なでするような声で泣きわめくだけ
人間も未熟であるときは、エゴのカタマリである
それが成長するにしたがって
人のことを思いやるようになって
お互いがお互いの事を大切にして、助け合って、
社会というものが形成されていく
相互扶助の関係を作ることによって
一人一人の力がバラバラである時より
助け合う集団の力は、凄まじく大きいものになった
原始の時代
たくさんの人が力を合わせて、自分の何十倍もあるようなマンモスをも倒した
そして、獲物を奪い合うのではなく、分け合うことによって
より多くの人が生き残ることが出来た
つまり、淘汰に勝つことが出来た
人は、腕力も、牙の力も、走力も、他の種に決して優ってはいなかった
しかし、圧倒的な力を発揮したのが、「助け合う力」であったのだ
人は助け合うことによって
「種の淘汰」に勝ち残ることが出来た
そして、今の繁栄を勝ち得ることが出来たのだ
その“力”が文明の発達に従って<弱くなってきているのか
助け合うことは損な事
そんな価値観すらまかり通っている
人は、未熟な時はエゴのカタマリであっても
成熟するに従って
助け合うことを身に付けて、大きな力を得ることが出来た
そう考えてみると
火の着いたタバコを、ポイッと、窓から捨てる輩は
体がデカイだけの未熟な人間か
あるいは退化し、下等動物になりつつある人間か
いずれにしても
人が、本来の強さから退化しつつあることは認めざるを得ない
自分の未熟さを
あるいは、下等動物ぶりを
「キレイ好き」だから、なんて思っている者がいるとしたら
考え違いもはなはだしい
タバコを吸いたいけど、灰皿を汚くしたくない人!
快洗隊に来るとイイ
どんなに汚れた灰皿でも、新品同様にピカピカになりますよ!
キレイなものは、とても気持ちをやわらげてくれます。