2002年03月20日(水曜日)
372話 やり始める事
パソコンが復活しました!
「洗車とラーメン」の続編は、シリーズ物としてボツボツ書いていくことにした
続けて書いていくとキリがなくなりそうなので
今日の話は、する事・しない事
私は今、ゆっくりのペースだが「権限委譲」を実行している
この会社は私のワンマンでやってきた
もちろん、決して私一人の力でやってこれたわけでもなければ
みんなの力があってこそ、なのだが
事の始め、「起動力」はいつも私にあった
これはうぬぼれでなく、そうであった
良い意味でも、悪い意味でもそうであった
私が起業し、私の感性でやるべきことを決め、「起動」してきた
そして引っ張ってきた
限界を強く感じている
車でも、停止の状態から動き始める時に一番力が要る
いったん動き始めたら、加速するのはまだ楽だし、低速を維持するのはもっと楽だ
0から1にする時に、一番パワーがいる
しかし、私はこの最初の一番パワーがいる部分がもっとも得意で
全力を出すことが好きですらある
そのことについては、まだまだやりたい事がいっぱいあって
仕事も遊びもやりことだらけで
気力も十分である
ところが
どんどん新しいことをやっていこうと思うと
他のすでに動き始めていることを加速することも、怠ってはならないし
順調にいっていることを維持することも、決して忘れてはならない
こういうことも私自身は決して苦手ではない
キャッシュフローも半年先ぐらいまでは頭に入っているし
“続ける”ことに、それなりの自信も持っている
限界を感じているのは
自分が一人分の脳みそと、体と、口しか持っていないこと
何でもかんでも自分でやらなきゃと思っていると
かえって、事が進まなくなってくる
それに加えて
仕事が多岐に渡ってくると、一つの感性だけでは対応しきれなくなってくる
みんなの新しい感性がどうしても必要となってくるのだ
だから
みんなの力を、「起動」の時点でも発揮してもらうようにしないと
ここからもっと前進していくことが出来ない
そう思って、今は何かを言い出す、やり出すということを、出来れば控えるようにしてきている
しかし、まだ正直言って、うまく行っているとは言えない
でも、ずいぶん進んできていることは確かで
自分が何かを仕掛けたことについて、どこかで人に引き継いでいくことは随分出来るようになって
任せることに慣れてきた
任せた方がうまく行っていると感じることもある
その点では本当にありがたいと思っている
しかし、自分で考えて、何かをやり始める、何かを「起動」するということにおいては
一部を除いて
まだまだ、である
「起動」とは、0から、自らの発想だけを頼りに、何かを作り出そうということ
漢字で書けば「創造」
何か始まっていることを進めていくのは、その方法と、目標がある程度はっきりしているので
割りにやり易い
眼の前にやらねばならない事があれば、当然やる
毎日の事をこなして行く、という行動
こういうことすら「やらない、やれない人」は問題外であって、早くやめてもらった方がいい
そんな人は、少なくともここには“いない”
毎日の眼前の事を、こなしていくことは、大抵の人は出来る
しかし、今まで無かった物を、あるいは無かった所で、何かを始めることは
行動に手がかりが無いので、行動を始めるのが非常に難しい
高い目標を達成するには、目の前に現れたことをこなしているだけではダメだ
そういう行動だけでは、良くて現状維持、ほとんどの場合はジリ貧になって行く
あるいは、時代に取り残されていく
高い目標に対して、真剣に達成したいと思うなら
新しい物に、あるいは新しい所にアタックすることが必須である
新しいことをやることは
「朝、一人で起きることに似ている」
布団の中は、あったかくて極楽である
ヌクヌクなのだ
特に今の季節は「春眠、暁を覚えず」と、なかなか布団から出るのがつらい
そのあったかい極楽から“自分の意思”で抜け出ることは、大変強い意思がいる
誰かに起こしてもらったり
あるいは、起きなければならない理由、たとえば仕事に行かなければならない
誰かと約束をしていて、早く起きないと約束を破ることになり大変なことになる
などなど、起きなければならない理由があれば、つらいが、何とかがんばって起きることになる
ところが、起きなければならない理由が切羽詰ってはいない場合
極端な話で、たとえば、ホームレス
朝起きて仕事を探しに行かないと、今の生活から抜け出せない
元の普通の生活に戻りたいとは思っているが
でも、それは“明日でもいい事”で
今日の今、それをしなければならない理由はあまり無い
今日のところは、このあったかい布団を楽しんでおこう
仕事は、明日、探しに行けばいい
明日になると、また同じ事を考えて、仕事を探すのはそのまた明日に伸ばす
結局、そのまま夏を迎え、暑すぎる時に仕事をするのは体に悪い
秋になって涼しくなったら
仕事を探しに行ったほうがいい
食べ物はその辺にいくらでもあるし、そんなにあせることは無い
秋になれば
また布団が心地よくって、仕事を探すのは明日にしようと、毎日思う
冬になれば、仕事をするには寒すぎる、となる
来年になっても、再来年になっても、ずっとそう思いながら
朽ちていく
※ここ新宿の高層ビル街にもホームレスはいっぱいいる
彼らもこの風景を、あったかいダンボールという布団の中から見ているのだろうか
その生活を抜け出せるかどうかは、仕事を探しに行こうと思ったとき
切羽詰っていなくても、自分の意思、意思だけで「起きる」
それが出来るかどうかだけ
新しいことをやる、ということもよく似ている
眼の前の仕事を、こなしていれば、とりあえず今日は仕事をしたことになる
新しい物を創ったり、あるいは所で仕事をし始めなければ、伸びないことはよく分かっている
よく知っている
このまま、今まで通りのことをしていたのでは、伸びていけないし
いずれは負けることも知っている
そして
新しいものは、自分の意思で創らなければ、出来ないし
新しいところが、あっちから自分の目の前には来ることはないし
自分から新しい所へ行かなければ、その新しいものが自分の目の前にはならない
それも知っている
でも
今は、それが自分の目の前にあるわけではないので、何も切羽詰っているわけではない
だからそのうち、機会があればと
その場でいつものことをし続ける
別に、今日新しいことを始めても、何も悪くは無いのだが
切羽詰ってはいない
だから、明日にはしようと思う
明日もそう思う
あさってもそう思う、明日こそは!
来月もそう思う、来月こそは!
来年もそう思う。来年こそは!
新しいことが始められるかどうか
新しいものを創ることが出来るかどうか
新しいところへ行けるかどうか
それは、そう思った“その日”、“その瞬間”に、何らかのことをやり始めることが出来るかどうか
“その時”、「やるかどうか」だけ
切羽詰らなければ何も出来ない人が多い、これは思ったより深刻なことなのです
やらないこと
しないことは
ヌクヌクしているだけ
何も生み出さない
「やること」からしか何も生み出されない
0から何かを「起動」させることが出来るかどうかは
実は自分の意思で自分を動かすことが出来るかどうかだけ
たった、それだけで決まる
ヌクヌクの布団から自分の意思“だけ”で、起きられるかどうかだけ
新しいことをやると、多かれ少なかれ、必ず挫折がある
挫折なんて、何度やったって、平気、平気
立ち直ればいいだけ
挫折が怖けりゃ、ヌクヌクと寝てればいい
だけど、何も得られやしない
挫折は、つらいが、きっと何かを得られることが出来る
そのほうが絶対、トクですよ。
今回は「禁煙」に挫折したOGINO
挫折の数なら自慢するほど持っている、と言っていた同期のHIRAI
彼らは、自分の意思だけで起きることが出来るたのもしい奴等である