2001年11月18日(日曜日)
281話 マシンは男の夢
私を含めて、男は、機械が好きだ
それも、とりわけアナログなマシーンが好きだ
・飛行機
・車
・バイク
・銃
どれもこれも、みんな大好き
ものすごく好き
どれも出来るだけアナログな物がいい
まず飛行機
私はとにかく、飛行機にはたくさん乗るが
窓側に乗る
お天気が晴れている時は、一番前
航路によって今日は何を見たいかで、右の席か、左かその時々で決めている
お天気が悪くて、下の景色が見えないだろうな、と思った場合は
“翼の上”
翼の上あるいは少し後方の席からは、
翼に色々付いている“空力補助装置が動く”のを見ることが出来る
離着陸の時に、フラップが降りたり上がったりする様子
スピートと高度を急いで落とすときには、エアスポイラーの一部が開く
着陸したと同時には、フル・エアスポイラーアップになり
その時にはフル・フラップダウンになっているので
翼の中が丸出しに見える
機械が動くのを見るのは、実に楽しい
一昔前まで、飛行機の尾翼についている方向柁(ラダー)とか、昇降柁(エルロン)
主翼についている補助翼を、動かすこと
つまり飛行機の向きを変えたりする、いわゆる操縦は、人力で行っていた
もちろん油圧による倍力装置を介してだが
人の力で動かしていたことには違いない
その意味ではアナログであった
いかにも人が、操縦桿で、人の力と感覚で、操縦していた
最新の飛行機はチョッと違う
フライバイワイヤーと、呼ばれているシステムに変わってきている
これは従来の操縦桿の変わりに
“スティック”と呼ばれる棒状のものが、操縦席の横にあって
そのスティックを人が動かすことによって
スティックの動きが一度デジタル電気信号に変えられ
そのデジタル信号と
その時の飛行機の姿勢と、気流の状態を、コンピュターが瞬時に計算して
翼の補助装置を適切に動かすというもの
アメリカの戦闘機F-16に初めて実用化された
フライバイワイヤーを旅客機として最初に採用したのは、エアバスA320
人はコンピューターを通して飛行機を操縦するようになった
考えてみれば、チョッとつまらない
人が直接飛行機を動かしているわけではないので
コンピューターのプログラムの組み方によって、悲劇が起きた例もあった
10年ぐらい前になるだろうか
名古屋空港で、中華航空のA300-600が墜落した
この時は
コンピューターを
“着陸をやり直す(コーアラウンド)という設定”にしたまま
それを忘れてしまって、気が付かないまま
操縦士は
着陸を強行しようとしてしまった
つまり、“人の勘違い”と“コンピューター”が戦ってしまい
コンピューターが悪い形で勝ってしまったのだ
結果として、最悪のこととなり、何百人もの人が死んだ
そんなこともあってか
私は、コンピューターが支配している機械である現代の飛行機には
あまり、そそられる物を感じない
機械として一番魅力を感じるのは
かなり昔の飛行機
デジタルどころか、人力で方向柁等を動かし
飛行機を、自分の肉体と一体化して操縦していたころの飛行機
とりわけ、第2次世界大戦当時の戦闘機
その中でも、ぞくぞくするほど好きなのは
ドイツのメッサーシュミットMe109
ミュンヘンのドイツ博物館に展示してあった
本物のメッサーシュミット
Messerschmitt109-E
ダイムラーベンツ製の巨大なV12気筒エンジンを
上下逆(ヘッドが下にある)に搭載し
その強力な馬力で
薄く小さめの翼と、
20mm機関砲を積んだ重くそして細くスマートなボディを
強引に引っ張る
いかにもドイツらしい飛行機、「一撃離脱」がその身上
しかし、その短い航続距離(ゼロ戦の約1/5)が致命的な戦闘機でもあった
その宿敵、イギリスのスピットファイアは
それとは対照的に
広い面積の翼と、7.7mm機銃を装備した軽い機体で
小回りを生かした格闘戦を身上とした
書き出したらキリがない
小学生のころ、そんなことに夢中になり
色々な戦闘機のスペックを丸覚えして
ドキドキしたものだった
それが殺人兵器である事などは、考えもしなかった
「強いもの」
ただ、それだけだった
憧れの「メッサーシュミットMe109」の“本物”を
ドイツ博物館で見たとき
私は、完全に“飛行少年”に戻っていた(非行少年ではない)
何分か動けなくなってしまい
じっと、“メッサーシュミット”を見入っている間
私の頭は
その狭い操縦席に乗り込み、大空に舞い上がり
宿敵“スピットファイアー”と戦っていた
ほんの何分かの間
私はメッサーシュミット・パイロットになりきっていた
空想と現実がゴチャゴチャになって
涙が出そうになった
ドイツ博物館は全部、実物の機械、乗り物などが
ぎっしりと展示してあった
自動車、ロケット、飛行機、船、潜水艦!など、など、など
ここではとても書ききれない
1日ではとても歩ききれない広大な展示場に
“ビッシリ”と本物が展示してあった
ここは男が少年になれる、夢の空間であった
私の、いつもの夢の空間
我がレーシングレビンの、コックピット
私は、ここに座ると
何も背負っていない無垢の少年になりきれる