2001年08月18日(土曜日)
?200 ひとつの区切りが
いつの間にか200話まで来た
また、ひとつの区切りである
昨日、“歯の大工事”がひとまず終了した、ほぼ一年がかりの大工事であった
コラム200話の一区切りに呼応したかのように、歯の工事が“終わった”
歯医者さんから帰ってきて
新しくなった自分の歯を、しみじみと見て
しばらく感慨無量であった
去年6月の事故(手洗い洗車機・快洗Jrが落ちて、歯に当たった)で
前歯のブリッジが折れて
前歯を入れ歯にするしかないと、言われて
入れ歯になったら、今までのように話が出来なくなるのでは、と
なかば絶望している時に
たまたま紹介してもらったこの堀田歯科さんで、インプラントのことを知り
この工事が始まったのだが
何回ぐらいこの歯医者さんに通っただろう
40~50回ぐらいか
見事に、上下24本の歯に再生した
もともと私の歯はガタガタで、あの事故が無かったとしても
遅かれ早かれダメになっていた
歯が悪かったのは、若い頃からの不摂生のツケ
私はしゃべる事が仕事なので
入れ歯にでもなったら、この仕事を続けるのはきびしいなぁ、と思っていた
だから50歳で引退したいと言っていたのは
こんなことも原因の一つであった
馬鹿みたいな話だけど、これはホント
堀田歯科さんに一年間通い、事態は一変した
結構大変でもあったし、お金もそれなりにかかったが
「インプラント」という魔法で
十数年、悩みの種だった“歯がだめになる恐怖”から開放された
オーバーな話ではなく
あと少なくとも5年はガンバロウ、という気になれた一因でもある
歯がだめになってくると
食事を食べるのが辛くなってくるし、しゃべりにくくもなる
見た目も悪いし、時には痛くなる
私のウィークポイントの一つだった
私は幸運だった
インプラントという技術は、歯医者さんの誰でもが出来るものではない
名古屋でも、大学病院などと、何人かの歯科医がやれるそうだが
私がお世話になった堀田歯科の院長、堀田康記氏は
「愛知インプラントセンター」という
中部地方の、インプラントに関わる中心的な機関を主宰している
インプラントの本場、アメリカのインプラント協会の指定医でもある
また、資格を持っているだけでなく
指導医として、若い先生を預かり、実践の中で教えている
※インプラント専用の診察室の中
目の前にアメリカインプラント協会の指定合格証と
ここを訪れた有名医達の写真が飾ってあった
堀田先生の権威を並べれば、そうそうたるものであるが
この先生の本当の凄さは
自分の仕事に妥協はないところであろう
患者は、全員素人なのであるから
面倒なことは、適当に手を抜いても患者には分からないはず
しかし、それを絶対にしていないことがよく分かる
なぜかと言うと
この先生よくしゃべる
やっている事を一部始終しゃべりながら、作業を進めていく
「どういう状態だから」
「こういう理由で」
「こんなことをしている」
そしてちょくちょく、鏡でその状態を見せてくれる
だから
自分に何が起こっているのかよく分かる
分かっていれば怖くない
たとえば、何週間しか使わない“仮歯”の噛み合わせを出すだけでも
こちらの感じを聞きながら、説明しながら
トコトン妥協せずにやっていく
いい仕事をしようという姿勢が、ものすごく分かる
そして、実に手早い
私は、いろいろな歯医者さんに行ったことがあるので
その人が手際がよいかどうか、つまりウマイかどうか
結構分かるようになってしまった
ここは文句なしに上手だと思う、だから早い
集中力もすごい
私も自分自身の商売に対して、参考になったことが多かった
何十回か、治療を繰り返してもらっている間に
私はすっかり、この先生を信頼しきってしまい
歯医者さんが
そんなに恐怖ではなくなった
私にとっては驚異的なことだ
きちんとした仕事を自分の都合ではなく
患者のためを思うことに決して妥協しない姿勢は
CSとかの問題以前に
おそらく、人としての価値観の問題であろう
※堀田先生、隣には歯が完成した私が移っているのだが
治療が終わったばかりで、あまりにも力の抜けた顔をしているのでカットした(^^♪
もうすぐ50歳
私自身も決して安易な妥協のない仕事を
真摯にやり続けたい
昨日は私にとって、大きな区切りの日であった