谷 好通コラム

2001年06月30日(土曜日)

第155話 変らぬ呼び名

私のオヤジが、このコラムの中に登場した事がある
(“第59話 台風の中の命”)

 

その中でも、私は父の事を“オヤジ”と表現しているが
実は
本当は
本人に対しては「おとうさん」と呼んでいる

 

いい年こいて、いまだに「おとうさん」と呼んでいるのは
照れくさいというか、恥ずかしいのだが
いまだにそう呼んでいる

 

小さい時(幼稚園まで)は、「とうちゃん」と言っていたのだが
小学校に上がる時に矯正された
それ以来ずっと「おとうさん」である

 

私ももうすぐ50歳
それなりに仕事もやってきて、それなりにポジションも得て
「怖い」という物もあまりない
極端に言ってしまえば「怖いものなし」と思っている
しかし
いつまでたっても、オヤジは、私にとって「権威」なのである

 

オヤジは、私の顔を見れば必ず「説教」を始める
決して怒ったりはしないが
ほっとけば、延々と終わることなく説教をする
正直言って「いやンなる」

 

私に対する説教は、“親父の趣味”
趣味だから
別に真剣に聞く事もないのだが
知らん顔する事も出来ない

 

小さい時
オフクロに言われた
「あんまり言う事を聞かないと、お父さんに言うよ」
悪ガキであった私も
この一言で従順モードになってしまったのだ

 

「怖かった」
別に殴られる事もあまりないのだが
オヤジが「怖かった」

 

ホントに
小さい時にインプットされた事というのは
本人の意思だけでは
なかなか「克服できない」ものだ

 

年取ってから、何度か「オヤジ」と呼ぶように挑戦したのだが
失敗している

 

何故か、口が「オヤジ」と動かない

 

しかし、考えてみると
小さい時に「権威」が有った事は、私にとって幸せだったと思う
子供にとって最初の「権威」は父親と母親
その権威によって「良い事」と「悪い事」を
価値観として摺り込んでもらえたように思う

 

「悪い事」をしようとすると、「後ろめたい感情」を持つ
そして、それをしたくない、出来ないとも感じる
私は“良い子”ではなかったので、模範的でも何でもなかったが
「悪い事」は「悪い事」だと感じる事が出来る

 

小さい時
「権威」は「親」であり、「先生」であり「社会」であった
それに叱られる事によって
してはいけない事、言ってはいけない事を教わってきたのだ
「お母さん」は
「お父さん」を
決してバカにしてはいけない、と思う
自ら「権威」を壊してしまう事になる

 

特に
「あんたのお父さんの甲斐性が無いばっかりに、私達は、不幸なのだ」
なんて事は絶対に言うべきでない

 

『親が、「自分達は不幸だ」と言う事すら、絶対に間違っているのに
「権威」であるべき親のせいで不幸なのだ、などと言うと
大人になった時、「社会」のせいで自分は不幸なのだと言い出す
自分の責任を
人のせい、社会のせいにするようになってしまう事がある
努力しないどころか、犯罪すら起こしても
自分のせいではないと思ってしまうようになる』とは
何かの本に書いてあった
※チョッと余分な事まで書いてしまったか

 

いずれにしても
私のオヤジは、これからそれほど長くはない人生なのだから
「説教」という“趣味”を取り上げることなく
“親である事”を全うさせてやりたい

 

だから私はきっと最後まで
彼を「おとうさん」と呼ぶのだろう

 

※そう言えば、弟は「オヤジ」と呼んでいる?なんでやろ

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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