2001年03月24日(土曜日)
第63話・・らしく見える
私が中学3年生の頃
毎日鏡を見て、ヘアースタイルを非常に気にしていた時期があった
自意識が目覚めて来たのだったのだろう
自分が回りからどう見られているか
すごく気になり始める年頃
自分の実体がどうであるか、より
どう“見えるか”が気になる
なにより
自分が“ヘンな人間に見られるのではないか”が気になる
だからみんな同じような格好をする
極めつけが高校生の女の子
「ルーズソックス」「なま足」
これは全国統一(例外が沖縄、これについてはいつか書きたい)
[眉毛]
見事にみんな同じような、きれーいな眉毛を造っている
「化粧」
私には太い・細い(デフ・ヤセ)以外にはほとんど区別がつかない
みんな同じ顔に見える
「ブランドバッグ」
以前名古屋駅で見た女子高生の修学旅行の群れ
半分の子が“ビトン”のカバンを持っていて、ブッタまげたことがある
みんなと同じようである事が“安心”なのであろう
確かに自然界の動物の世界でも
“群れ”でいる時、一人だけ目立つことが最大の危険である事は定理の一つだ
アルビノが生き残りにくいのはその例であろう
「みんなと同じように見える」ことが「安心」
高校生の頃は、高校生という共通項の中で
“同じようであろう”していればいいのだが
もっと大人になって
そのうちに自分を分類しなければならなくなる
子供はあらゆる意味でほぼ平等だが
大人になってくると、社会的に分担が決まってくるからだ
そうなってくると
分類に応じた“らしさ”が必要になって来る
分類別に属する“らしさ”、“らしく見える”事が重要になって来る
出来れば
実態よりも、少しでも上等な“らしさ”に見える事が良いことになっている
らしく見えるための、服装、アクセサリー、めがね、ひげ、持ち物、靴、ヘアースタイル、車
上等である事が無理なら、いっそのこと[悪・ワル]として居直る
いわゆる「悪ぶる」というヤツだ
「群れ」の中にいればいるだけ
“らしく”しようとする
雑踏の中にいると
自分を見失いそうになるから、“らしく”する事で、安心しようとしているようだ
“素”であり続ける事の方が楽しいと思うのだが
“素”とは、数で言えば“素数”
1であり、2であり、3,5,7,11,13,17,19,23,29,31,37,41,・・・無限に続く
素数とは、自分の中に1以外の他の素数を持っていない数字
1以外の数字では割ることが数字
自分の中に自分意外の要素を持っていない数字
装うことによって
自分を自分以外のものに見せる必要がなく、
決して他を排する事も必要もなく
自分であるだけで、それ以上でもそれ以下でもない
素である事を、“素適・素的”と書く
関係ないが
世界中のどんな有名なレースカーとも、らしくない
キーパーレビンのカラーデザイン
カッコイイかどうかは意見の分かれるところ
いかにもレースカーらしくないところがイイ!?
シンプルと言えばシンプル
キーパー以外の何者でもない
安易なデザインと言ってしまえばそれまでだが
デザインは言わずと知れたby GRIT!