2001年02月24日(土曜日)
第34話 雨と晴れ
MINEサーキットでレース前日の練習と調整があった
しかし私とへな?は調整どころではない
まだ練習途上でただただ必死に走るのみ
今日も色々なことがあった
それをトラブルと呼ぶか、ドラマと呼ぶか
とにかく結果として、午前と午後に1本づつしか走れなかった。
というより、またまたメカニックの皆さんの奮闘のおかげで、かろうじて2本走れたといった方が正しい
感謝感謝
午前中は雨
ウェットコンディション、つまり路面が雨でツルツル滑る状態の中で1本目を走った。路面が滑る状態では独特の走り方があって、それはそれで面白い
午後からちょっとしたトラブルがあって、最終の一本を私が走ることになった。
その時の路面はほぼドライ
ところが走り初めてビックリ、最初の2~3周、まったくタイムが上がってこないのだ
普段のドライコンディションの時のタイムより、10秒近く遅い
つまりこういう事である
前回の2月3日にサーキット走行をした最後の一本がウェット
そして今回の午前中の一本もウェット
間をおいて2本ウェットで走ったものだから
Gに対する体感速度と、タイヤグリップの感覚がウェットになってしまっており
午後からはドライの状態で、タイヤもしっかりグリップするようになっているのに、頭と身体はウェットの感覚で走っていたのだ
何周目かにハッと気がついて、頭の中のモードを修正し
思いきって走ったら
それらしいタイムが、かろうじて出始めた
こういう事って普段の生活の中でもよくある
それまで、ある制限の中で仕事をしてきた人が
その制限が無くなっても、あたかもその制限がまだあるかのようにしか仕事が出来ないということ
たとえば
ガソリンスタンドは、そのメイン商品であるガソリンは製造工場から供給される商品を売るしかないという制限を持っている
だから、どのガソリンスタンドでも、どのマークでも、みんな規格にはまった同じ品質ガソリンを売っている
ガソリンスタンドでは他の商品もいっぱい売っていて
たとえばその一つが“洗車”
洗車は規格も無ければ、何を販売するのか制限も無い
自由なのだ
なのにガソリンスタンドは、どこの店でも同じような洗車を売っている
洗車は「自由」なのだから、お客さんに喜んでもらえて、お客さんが買ってくれる物だったら何を販売してもいいのに、なぜかみんな同じような洗車を販売している
制限されることに、つまり制約を受ける事が当たり前に成ってしまっていて
洗車いう商品については、
「他の同業者と同じ物を売っていなければならない」
という制約は全く無いのに、なぜかみんな同じような洗車を販売している
自分の持っている自由な可能性にまるで気がついていない
もっともっとお客さんに喜んでもらい、ビジネスとしても成り立つような洗車商品もいっぱいあるのに
ドライの路面状態である時には
ウェットの限界などを気づかって走る必要など全くないのに
それまでの経験が染み付いてしまい
自分の中に勝手に限界を作って
ゆっくりと走っている自分の姿に良く似ていると思った
最初私は真剣に、タイムボードが10秒間違えて出されていると思ったのだ
ピットに帰ってきてから、そのことを言っても「何をトロイことを」と、相手にされないのは解っているので「へぇ~こんなこともあるんだ」と、へな?としきりに感心しあっていた
その時の状況を冷静に把握して、自分の可能性を100%実現する気持ちを持っていないと
レースでは全く話にならない
洗車でも、あるいは他の事でも同じようなことが言えるのではないだろうか