谷 好通コラム

2021年08月16日(月曜日)

8.16.させられていれば、車はキレイにはならないのは、当然だろう

先の話で、有名なパン屋チェーン店の発祥の店が、

のれん分けなのか、どうか解らないが、店の名前が変わってから

同じような店舗で、同じ接客で、同じような形で、同じような味なのに

パンが魅力的でなくなって、なぜか美味しくなったのは

パンに”魂”を感じなくなったからと書いた。

 

しかし、魂とはいかにも抽象的で、いい加減な言い方なので、

もうちょっとよく考えてみた。

昔の大繁盛していた頃のあのパン屋は、

厨房でパンを造っていた若者が、

多分、オーナーからこんなことを言われていたのではないだろうか。

「どんなパンを造ってもいい、俺を納得させたら、店に出してやる。」とか、

逆に、オーナーが創作パンの天才で、

創るパンをお客様がすごく喜ぶので、若者たちはそれが嬉しくて、

美味しいパンを造りたい思って造っていた。

それがものすごく楽しくかった。

 

とか、そんなことを想像するのだが、

その店がチェーン店になって、たくさんの店の内の一つになって、

発祥のその店も誰かに売られて、別のオーナーが付き、

その会社が若者を雇って、使用人として使い、

それまでにヒットしたパンを、そのままのレシピで、そのまま造るように命じ、

使用人は、言われるがままにそのまま造らされていた。

 

その違いが、なぜ、同じような形で、同じような造り方をしているのに、

なぜ、美味しいと感じられないパンになってしまっていたのか。

 

同じようなことを洗車とコーティングに思うのです。

洗車とコーティングは、

例えば洗車でも、

同じ道具を使って、同じケミカルを使って、同じ技術を使って洗っても、

その車のお客様に喜んでもらうことを楽しみにして洗うのと、

一つの作業として洗わされるのとでは、ぜんぜん仕上がりが違うものです。

 

同じ道具を使って、同じケミカルを使って、

同じ技術を使って決まったように洗っても、

自分の意志で「キレイにしたい」と思って洗うのと、

単に給料の為だけに洗わされるのでは、キレイさが全く違う。

 

決まったように洗っていて洗い残しが見えても、

キレイにしたいと思って洗っていれば、自然にその洗い残しを取る。

そんなことは当たり前だろう。

しかし、

その人が洗わされているだけなら、

それが見えても、

「俺は言われたようにきちんと洗っているのだから、

洗い残しが出たのは、俺のせいじゃないので、ほっておく。」などと、

そのままにして気にしない。

あるいは極端な話、それが洗車機ならば、

洗車機は洗い残しが出ても気が付きもせず、決まった動作が終わればそこまで。

洗車機には魂が無いのだから、当然だ。

 

これがもっと難しいコーティングになると、

その差は歴然となるはずだ。

洗っただけのキレイさとは別次元のキレイさを作りだすのが、

コーティングなのだから、

本当にその車を”キレイにしたい”、と思わなくては、

別次元のキレイさなんて作りだせる訳がない。

決まった道具で、決まったケミカルを使って、決まったように作業しても、

本気でキレイにしたいと思わなくては、

車は本当にはキレイにはならないのは、当然だろう。

 

そんなことを、日曜日にもかかわらず、

ガランとしている昔大繁盛のパン屋を見て思ったのです。

 

おまけです。これを書いている傍らで寝るチーちゃん。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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