2021年11月11日(木曜日)
11.11. 11月11日の11時11分11秒
私は一番になる事を目的としたことはない。
たとえ一番になったとしても、それは結果であって、一番は目的にはならない。
だから、学校での成績とか、運動会の順番とかで
一度も一番になったことが無いのだろうか。
ただ一つ言えるのは、
私は短距離走でも、マラソンでも必ず全校で一番遅かった。
そういう意味では一番だった。
ただ高校の時、心臓が弱い小川君という生徒がマラソンで私より遅かった。
彼は蒼い顔をして苦しそうに走っていて、
ビッコの私が彼を抜かす時に「大丈夫か?」と声を掛けたら、
彼は「お前には言われたくない。ほっとけ、ばかやろ」と、
恨めしそうな目で返した。
ドベ2である私が、勝ち誇ったように
ドベ1である小川君に同情するのは我慢できなかったのだろう。
1番であるかどうかは、
スポーツの世界での金メダルか銀メダルかの違い程度の問題で、
少なくとも仕事の価値観の上では1番かどうかは意味がない、
仕事とは、その仕事によって如何に相手に価値を提供するかという事。
如何に相手に対して価値を提供できるかどうかが
相手にとっての唯一の問題であり、
その価値の提供の過程において、
そしてその結果が一番になったとしたら、
その価値が正解であって、
提供の仕方が正しかったという一つの証になるだけのこと。
今日は、一年の中で唯一「1」が四つ並ぶ日の11月11日で、
ふと、一番について書きたくなり、11時11分11秒に書き始めました。
それにしても、病院の飯はまずい。
「病院の飯は病気を治すことが「目的」なので、
カロリーのコントロールと塩分の抑制が必須であり、目的なので、
美味しくないのは仕方ないものだ。と言われるが、
病気を治すのは人間の幸せが目的であり、
わざわざ不味いものを出すことが必ずしも目的を果たすことにはならない。
目的の為に仕方なく不味いのではなく、わざわざ不味いのだ。
ご飯は間違いなく古米、
あるいは噛み切れない玉ねぎ等が健康の為とは関係ない。
しかしそれにしても、
「今日、こんな美味しいご飯食べてきた。」と写真を送ってくる奴は、
何が目的なのだろうか。