谷 好通コラム

2018年09月07日(金曜日)

9.07.強運永田部長、釧路からの生還

店舗開発部の永田部長の話です。
彼が店舗部の責任者になってから、俄然、新店が開発できるようになりました。
そんな永田部長が「釧路」に行ったのは、
ラボの新店とは全く関係ありません。私の用件で釧路に行ってもらいました。

 

台風21号が大阪を襲って日本国中が混乱していた日、
羽田空港から釧路空港へ飛ぶために、
新幹線で名古屋から品川に向かったのですが、
台風の影響で新幹線がまともには動いていず大変苦労して
本人いわく5時間もかかって品川に行ったそうです。
どういう方法で5時間かけて品川に行ったのかは聞きませんでした。
いずれにしても、
無事に羽田空港から釧路空港に飛んだ永田部長は、
釧路で無事に仕事を果たして、
夜、地元の人と一杯飲んで、
釧路のホテルに泊まったら、
午前三時ごろ、確かに揺れたそうです。
しかし釧路は今回の地震の震源地から離れているので、
揺れたのは大したことは無かったのですが、
それから間もなく真っ暗になって、それが停電である事には最初気が付かず、
テレビもつかず、スマフォもパソコンもつながらず、
途方に暮れたそうだが、
たまたまいた地元のタクシーに聞いたら、
タクシーは携帯でもない、いわゆる「無線」で仲間たちと繋がっていたので、
この停電が地震のせいであって、北海道中が停電である事を知り、
しかも、自家発電が動いていた釧路空港だけが生きていて、
飛行機が発着している事を知った。
そのタクシーに乗って釧路空港まで直行し、
たまたま釧路→羽田行きの臨時便が釧路空港にいたので、
それに飛び乗って、羽田まで飛んで、釧路から最短時間で脱出に成功した。

 

その頃、千歳空港も女満別空港もあらゆる空港が閉鎖しているので、
北海道中の各地から釧路空港に向かって、
帰りたい人達が
まるでシリア難民のように(永田部長の言葉) 釧路空港に押し寄せていて、
すぐに溢れてしまい、
一歩遅ければ、永田部長も釧路空港で飛行機に乗ることは出来なかったそうだ。

 

北海道の停電は深刻で、ラボの札幌店も手稲店も閉店せざるを得なかった。
そんな大変な状況の中で、朝、会社に出てきたら、
そこに永田部長が会社にいたのにはびっくりであった。

 

強運の永田部長、奇跡の釧路からの生還劇であった。

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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