2022年06月09日(木曜日)
06.09.エネルギーを発しながら(気力)、バリバリ働いて行きましょう。
毎年の検診で「堀田歯科」に行ってきました。
「堀田康記先生」という「インプラントの名人」のいる病院です。
22年前の昔、
快洗Jr.の開発期に私が車の荷台に快洗Jr.を乗せようとしていて、
快洗Jr.を押し損ねて前歯を折り、
大勢の人前で話す事に絶望していた時に、
その時代始まったばかりの「インプラント」を入れてもらって、
すっかり復活できた一連の話が、
21年間続くこのブログ(現在6,372話)最初の、
2001年1月22日に書いた第1話「復活の日」です。
私は48才、堀田先生も同じぐらいでした。
大変豪快な先生で
素晴らしい最新鋭の技術で見事に私を復活させてくれました。
その後、年1回のチェックとたまに少しの手直しを受けながら、
21年後の今でも、私のインプラントは絶好調で、
バリバリと食物をかみ砕いてくれています。
毎日朝晩の歯磨きを欠かさないのは当然ですが、
普通の手入れだけで、まるで生き返ったように復活出来ました。
あれが無かったら、今の私はありません。
だから、私の人生の恩人の一人です。
堀田先生は現在70才を越したそうですが、
胃がんの大手術の後、
「あと2年」と宣告される深刻な病態になったことがあるそうですが、
「俺の息子(医師)からあと2年と宣告されてから、もう、13年生きてるよ。」と、満面の笑みでおっしゃっていました。
堀田先生は、とても70才とは思えない程、院内を動き回り、
複数の治療中の歯科医たちの報告と相談に大声で応えて、
自分の治療と同時進行で、教えて回っています。
もう本当に「バリバリ」です。
私が腰の脊柱管狭窄の手術を受けた「西部医療センター」の
名人の「稻田先生」は、堀田先生の紹介で、
堀田先生も腰を深刻に痛めて稻田先生に手術を受けたことがあるそうでした。
だから堀田先生も、3回の深刻な大病(私が知っているだけで)をされています。
今のバリバリぶりからはとても想像が出来ません。
すごく運が良かったから、3回の大病を乗り越えバリバリ働いていられるのか。
そうではないような気がします。
堀田先生は普段、ものすごいエネルギーを発しながら(気力)、
激しく動き回ってバリバリ働いているので、
命が弱り消える事を、気力で乗り越えてしまったように思えたのです。
似たような経験があります。
私の仕事においても、人生においても大恩人の遠野さんは、
私と同年配ですが、
何年か前に血液の大病をされて、
その道の名医に「生き延びる確率は低いです。」とまで言われたのですが、
聞くと驚くような治療を経て、見事に奇跡的な克服をされて、
今また、
ものすごいエネルギーを発しながら(気力)、
激しく動き回ってバリバリ働いていらっしゃいます。
先日の「カンブリア宮殿」にも、大熱演で出ていただきました。
凄まじいばかりの気力のエネルギーをひしひしと感じます。
もうひとつ、
約30年前、その頃作っていたQシステムを進化させて、
独自の処方で新しいKeePerブランドのケミカルを製造し始めた時、
ケミカルを造ってくれる工場を探していたのですが、
年商数億円程度の零細企業のいう事をまともに聞き入れてくれる所は少なく、
独自工場の確保に難航していた時に、
たまたまの縁で知り合ったきっぷのいい工場長が、
ほんの最初の1時間ほどの会話で
「ああ、いいよ、あんた信用できそうだから、つくったげるよ。」と言って、
それから、しつこいこちらの要求に粘り強く応えていただき、
何か月もかかって、最初の「KeePer ファイナル1」のシリーズが出来たのです。
あの工場長がいなければ、今のKeePerはありませんでした。
言って見れば、KeePerの発祥の大恩人です。
その大恩人が、83歳の天寿を全うして先日お亡くなりになりました。
お亡くなりになる二か月ほど前にお電話をいただいて、
「まだ工場には顔を出しているけど、好きな速足の散歩が出来なくなった。」
と、おっしゃっていましたが、
はげしい気力が、年齢と病気による体力の衰えには抗せなかったのでしょうか。
最後はご自宅で、
静かに眠るように逝かれたと聞きました。
KeePer発祥の大恩人のご冥福をお祈りします。
私は、まだやっと70歳になったばかりです。
昨年、思い切って手術を受けて、
体が元気になったと同時に、自由を得、
自分でも驚くくらい気力が湧いてきて、まるで十年前に戻ったように感じます。
以前に比べれば、体力は間違いなく落ちてきていますが、
仕事が面白くてたまらないワクワク感は、上がり続けていて、
ピークはまだまだ先の上の方にあるようです。
今しばらくは、先の人に負けないように、
皆さんみたいに、ものすごいエネルギーを発しながら(気力)、
バリバリ働いて行きましょう。