2022年06月18日(土曜日)
06.18.珍しい一時間の長い空白
今日、久し振りの人が会社に来ていただけるとのことで
会社で待っていたのですが、
うっかり私が時間を一時間間違えていて、すっぽり一時間空いてしまった。
こんなことは珍しいのですが、何もすることがない時間が一時間できて、
改めて一時間という時間の長さを感じています。
会議とか、機関投資家からの取材を受けている時の一時間は
あっという間に過ぎてしまうのに、
今日みたいに事務所に珍しく誰もいない時の一時間は、とても長く感じます。
そう考えると、どうせ限られている一生の時間も、
忙しく、あわただしく過ぎてしまうよりボーっとしていれば、
とても長く感じられて、かえって得なのかもしれないのかな、
なんてつまらない事を考えてしまいます。
しかし、入院中の事を考えると、
「時間薬」といって、とにかく時間が過ぎるのを待つしかない事を思うと、
退院して元気になった時の時間が、
「元気なだけでこんなに幸せなのか」と、感じたことを思うと、
ボーっとしているのは、やっぱり嫌だなと思ったりします。
私はいま70歳になってしまっていますが、
50歳近くになってからこのブログを書き始めたので、
バックナンバーを遡れば、事細かく記憶が蘇りますが、
30歳台の時、40歳台の時の事をほとんど覚えていません。
決算書などを振り返って読めば、あの頃にはあんなことがあったとか、
かすかに思い出しますが、やはり大まかにしか覚えていません。
若い時からずっと日記を書いている人がいますが、
そういう人の気持ちがわかるような気がします。
どの年代でも、充実して生きてきたことには違いないので、
それを文字にして置き換えておく意味は、たしかにあると感じます。
そんなことを思いながら、空白の一時間の半分を使ってこれを書きました。
変な気持ちです。