谷 好通コラム

2022年09月01日(木曜日)

09.01.わが青春の、ベトナムに平和を!市民連合と、ゴルバチョフ。

私が高校から大学の頃にかけて、

ベトナムでは「北爆」が、米軍によって連日行われていた。

 

インターネットで調べると

 

北爆とは、

1965年2月に始まった、 ベトナム戦争 におけるアメリカ軍による北ベトナム爆撃である。 はじめは地域限定攻撃であったが、次第に軍事基地だけでなく村や町など無差別爆撃を行うようになり、解放戦線に対抗するため南ベトナムでも北爆と呼ばれる攻撃が繰り返された。 B52爆撃機は、ジェットエンジンを8つも持つ巨大な爆撃機で、225キロ爆弾を一度に108発も運ぶ、当時最新鋭の爆撃機であった。

 

 

また、別の記事によると、

アメリカ軍による大規模な北ベトナムへの空爆や、北ベトナム軍が有利となったジャングルでのゲリラ戦は、両軍ともに多数の死傷者を出しました。その様子は世界中で報道され、あまりの凄惨さに各国で反戦運動が勃発します。

アメリカでは自国の軍を投入してから3年以上も成果がなく、死者ばかりが増えていくことに反感が強まっていきました。エスカレートしていく戦争をやめない政府への批判も強まり、アメリカ国内の世論が分裂してくようになります。

1968年に北ベトナム軍による一斉攻撃(テト攻勢)でアメリカ軍が大打撃を被ると、同年中に北への空爆全面停止を宣言。1973年の1月に和平のためのパリ協定が調印されてアメリカ軍が撤退し、後の1975年4月、南ベトナム政府は無条件降伏しました。
およそ20年に及んだ戦争は、北ベトナムが南を併合する形で終結したのです。
北ベトナム側の推定戦死者数は117万7千人、
南ベトナム側は28万5千人。
そして南北合わせた民間人の死者数は458万人以上にのぼりました。

 

人間の歴史とは恐ろしいもので、
わずか50年くらい前の、私が学生の頃、
ベトナムという小さな隣国で、
戦って死んだ人が約145万人、民間人が約458万人、
計約600万人以上もの人が殺された戦争が、身近な国であったのです。

あの時の米軍はソンミ村というベトナム山中の小さな村で、
無抵抗の村民500人余を皆殺しにした事件があって、
世界中の人々から猛烈な抗議と非難の声が上がりました。

 

学生だった私も「へトナムに平和を!市民連合」(略・べ平連)での、
抗議の輪に加わったこともあります。

 

だからといって、今のウクライナでのロシアの卑劣な侵略戦争が
ベトナム戦争に比べたら大したことないといっている訳ではありません。
今のプーチンは、世界中の何十億人もの人々を殺す事になる核兵器の使用を
ちらつかせて恫喝している卑劣極まりない存在です。

しかし、昔のアメリカのベトナムでの事も併せて考えると、
人とは絶対的な権力を持った時に、

 

どこまでも無慈悲に、残酷になれるものかと考えてしまいます。

 

しかし、ロシアの元大統領に、ゴルバチョフという人がいました。
ベトナム戦争の元になった東西(ソ連とアメリカ)の冷戦を、
まるで奇跡の様に終結させた超偉人で、人類の救世主のような人でした。

 

そのゴルバチョフ氏が、
昨日91才で亡くなったそうです。
彼は世界に平和を実現したことで、
何億人もの人に自由を生み出し、
何百万人もの人の命を救ったことになるのでしょう。
あの人の人生は、世界で最も重く深いストーリーを持ったものです。

 

晩年になってからのテレビのインタビューで、
「あなたが今までに一番悲しかったことは何ですか?」と聞かれたら、
ミハエル・ゴルバチョフは、
「1999年、ライサ(夫人)が先に死んでしまったことさ。
あれからは、ずっと、私の人生はツマラナイんだ。。」と、答えていた。

 

すごい人ですね。泣けてきます。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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