2022年10月29日(土曜日)
10.29.今に生き永らえさせてくれている現代医学に感謝する、しかし。
メッセンジャーRNAやIPS細胞の技術など先端医療の劇的な発達で、
あと数年でガンが完治するようになるとか、老化を止められるとか、
テレビの番組を見ていると、
近未来の人類は今の難病に打ち勝って、幸せ一杯のように思える。
しかしその近未来に、自分の寿命が間に合うのかどうか、
ガンが完治する時代の直前に、ガンにかかってしまって
「もうちょっとガンになるのが遅かったら
○○治療で治ったのに、惜しかった。」なんて
お通夜の席でみんなに惜しまれる事になるんじゃないか。
もうちょっと遅く産まれていれば、間に合ったのに・・・と悔やむわけだ。
反対に、
今の若い子や子供たちは、将来、ガンになっても
花粉症を治すような軽い感じで治してしまい、
もっと未来では、
ガンにかかったらドラックストアに並んでいる安売りの飲み薬で、治す。
そんな時代が、何十年か先に来るのかもしれない。
そういえば、こんなのもやっていた。
人間が考えたことを脳波として精密なセンシング技術で受けて取り、
AIが解析して、ものすごく超精密なロボットの腕・足などに送り、
例えば文字を書くとか、例えば歩くとか、
自分の手足のように考えただけでその動きを制御する義手、義足があれば、ぽ
例えば私のような
足のポリオでの萎縮の関係で足首の骨の変形が進み、
チョットだけなら歩けるのに、100m程度の歩行になると無理になったり、
階段が苦手になっていたりしているような中途半端な障害には、
義手・義足は必要ではなく、
自分の不便な手足の動きと力を補助してくれる精密なロボット手・足があって
しかもその動きが、考えただけで実行出来れば、
あらゆる意味で最高です。
この機械で救われる人は数十万人レベルでいるはずだ。
そんな夢のような肉体的補完が出来るようになるという。
しかし、
人間のあらゆる臓器とパーツが医学的に造れるようになって
人造臓器として、悪くなった臓器に代えて次々に移植され、
人間のすべてのパーツが、脳とAIで繋がった機械で代替されたりして
気が付けば、
人間の脳以外のすべての臓器とパーツがすべて人造臓器と機械になっていて、
そんな状態を「生きている」と言えるのかどうか。
はたまた、
「脳」のような機能そのものは、先進の電子機器ならば、
大して大きくもなく出来るようになるだろうし、
脳が蓄えている”記憶”を電気信号として抽出し、優秀なAIで解析して、
それを脳の代わりをする電子機器のメモリーに蓄積して、
動かすことも出来るだろう。
そこまで行くのにあと100年は必要か。もっと早く出来そうな気もする。
しかし、
そんなところまで行ってしまうと、
その人造臓器と機械と電子機器とAIだけで出来たカタマリを、
それを果たして”人間”と呼べるのだろうか。
ましてや、
人間の脳から記憶を信号として抽出し、
精密な電子機器に信号として移入して動いている知能を「心」といえるのか。
こんな事を綿々と考えている私の心は、
信号として抽出し、解析され、メモリーに蓄積できるものなのだろうか。
心は信号か?
0101010101・・・・の信号か?
アナログとデジタルの違いは学校で習ったが、
「心」と「信号」の違いは、その違いなのか?
私は、
私という心は、一体何なのだ。
よく解からなくなってきたので、
ガンが不治の病ではなくなるのであろう若い子たちの世代を、
羨ましいとは、だんだん思えなくなってきたのでした。
大昔ならばとっくに死んでいるのであろう我が身を、
今に生き永らえさせてくれている発達した医学に心から感謝する。
と同時に、
人造のたんぱく質で出来た人造臓器と、精密機械と、
記憶と考えを信号として解析され電子機器に蓄積され稼働しているような、
それを人間と呼ぶべきなのか、
心がそこにあると考えるべきか、
そんな人間とロボットの境目が無くなった時代で
「心? 生命?」と、
自分でもよく解からないような自分になるまでは生きていたいとは思わない。
今が一番。今が最良。
生きているってほんとうに素晴らしい。